その日の夜。 ケーキ作りが一段落した頃、予告通り桜映から香蓮に電話が掛かってきた。 「はーい。かれんでーす」 「あ、香蓮?いま大丈夫?」 「だいじょぶだよ~。そうそう、新作のケーキがあと少しで完成するよ。楽しみにしててね」 「わ~い!いつもありがとー。明日の放課後にお家に寄っていい?」 「うん、もちろんだよー。それで、今日の勧誘はどうだったの?電話ってそのことだよね?」 「うーんとね、今日はダメだったんだ」 「そっかぁ~、残念だったね」 言葉を返しながら香蓮は残念だと思うと少し同時に安心もしていた。 結果が芳しくなかったにも関わらず、そう告げる電話越しの桜映の声に落ち込んでいる様子が全くなかったからだ。 それどころか、いつも以上にテンションが高いようにも感じた。 「でもね!」 香蓮が心中に覚えた疑問に応えるかのように、それまで以上に元気よく桜映が言葉を続けた。 「ダンスに詳しい人は見つけたの!メンバー集めも手伝ってくれるし、トレーナーにもなってくれるって!あたしにダン ス、教えてくれるって!!」 「トレーナー?って言うことは、先生なの?」 「うん!体育の東先生!」 「東先生?えーっと、入学式で名前を呼ばれてた先生、だよね?」 「そうそう!その人もダンスチームを作りたいんだって!」 「そっかー。それじゃあ、あとはメンバーを集めるだけだね」 「うん!あたし、今すっごい燃えてるの!今のあたしならすぐにメンバーを集められそうな気がする!明日からは今日以 上に頑張るんだ!!」 「うん。さえちーならきっとできるよ。それで――」 自分の手伝いは必要か。香蓮はそう尋ねようとした。 昨日、桜映からは不要と言われている。自分に気を使ってのことだろう。 しかし、香蓮はそれでも桜映に協力したいと思っていた。 最大の理由は桜映が一生懸命に頑張っていることを応援したいと思ったからだが、もう1つ、親友がそこまでの熱意を 示すダンスに、香蓮も興味を持ち始めていたからだ。 幼い頃より積極的で行動力のある桜映だが、1つの事にここまで熱中するのは知る限り初めてであり、香蓮もその事が 気になっていた。 「さえちー、メンバーの勧誘のことなんだけど……」 「そうなの。そのことで香蓮に話があるの」 「え?」 電話を耳に当てながら、香蓮は首を傾げた。 「昨日はカッコつけて1人でやるよって言ったんだけど、その……今日1日勧誘活動してみて、やっぱり1人より2人のほう がいいなって思ったの。だから、時間があるときだけでいいんだけど、香蓮に手伝ってもらえたらなーって。ダメかな? 」 電話越しに申し訳なさそうな桜映の顔が浮かんできた香蓮は思わず吹き出し、笑い始めた。 「か、香蓮?どうしたの?大丈夫?」 「あはははっ!――うん、だいじょぶだよ!わかった、明日からかれんも手伝うね!」 「ほ、ホント!?ありがとう香蓮!大好き!」 「えへへ。かれんもダンスをしたい人がいないか色々探してみるね。――あ、そうだ。さえちー、お昼休みだけはお手伝 いできないかも。それでもいいかな?」 「昼休み?全然オッケーだよ。今日みたいにクラスの用事とかもあると思うし、手伝える時だけで大丈夫だよ。なになに ?昼休みになにかあるの?」 「うん。クラスにね、新しいお友達ができたの。その子とお昼ご飯を一緒に食べようって」 「へー。いいなー。あたしもメンバー集め終わったら混ざってもいい?」 「もちろんだよ。住んでる所もあまり遠くないし、3人でお話したいな!きっと仲良くできると思うの」 「やった!楽しみにしてるね!っと、もうこんな時間。そろそろお風呂入らなきゃ。それじゃあ香蓮、明日からよろしく ねー」 「うん。さえちーも張り切りすぎて無理しないでね。また明日ねー」 電話が終わった後、香蓮はケーキ作りの仕上げに取り掛かり、桜映は明日からの勧誘計画を考え始めた。 お互いに顔に笑みを携えながら、それぞれの夜が更けていく。 一方、すみれは台所で明日持っていく弁当の準備をしていた。 妹と弟の面倒を見る為に、必要に迫られて覚えた家事だったが、すみれはそれが決して嫌いではなかった。 その中でも料理は家族が喜んでくれる顔が見たくて、特に真剣に取り組んでいた。 明日は初めて家族以外に自分の料理を食べてもらう事もあり、普段であれば前日の夕食の残り物を中心に作るが、いつも 以上に力を入れた弁当にしようと仕込みにも時間を掛けていた。 その準備も大方終わり、台所周りの片付けを始めたその時、カチャリとリビングのドアが開かれた。 かなり遅い時間から準備を始めた為、家族は皆、寝静まっていたはずなのにとすみれが驚きながら振り返ると、そこに は寝巻き姿の母がいた。 「お弁当の準備?」 まずは詫びようとしたすみれより早く、母が言葉を掛けた。 「そ、そうなの。起こしちゃってごめんなさい」 「構わないわ。それにしても随分気合いが入っているのね」 「明日は友達と一緒にお昼を食べる約束をしているの。それで――」 「そう。あまり無理をしてはだめよ。明日も朝早いんでしょう?」 「う、うん。もう終わるから」 「そう。それじゃあ、おやすみ」 「おやすみなさい、母さん。…………母さん?」 挨拶も済ませたし、明日も仕事のある母はすぐに寝室に戻ると思ったのだが、中々扉の前から動こうとしなかった。不思議に思ったすみれは、改めて母に声を掛けた。 「母さん?どうしたの?」 「すみれ、いつも家のことを任せてばかりでごめんなさいね」 「えっ?」 「お友達と遊んだり、部活に入ったり、やりたい事があるなら母さんたちに遠慮しなくていいのよ?本当はバレエだって 続けたかったんじゃないの?」 「ち、違うわよ。母さん。私、遠慮なんてしてない。家事は私が好きでやってる事だし、バレエを辞めたのも高校でちゃ んと勉強して、いい大学に行きたいと思ったからだもの。母さんこそ気にしすぎよ。私は大丈夫だから」 「そう……わかったわ。でもね、すみれ。本当にやりたい事があるのなら、その時は正直に話してね。母さんも父さんも 、家族はみんな、あなたを応援するから」 「うん。ありがとう母さん」 「ええ。それじゃあ今度こそ、おやすみ」 「おやすみなさい」 パタンとリビングの扉が閉まるのを確認してから、すみれは小さく息を吐いた。 決して家族に遠慮をしているわけではない。これは自分で選んだ事。後悔もないはず。 中学生まで続けていたバレエを辞めたのは勉強に集中する為もあるが、本当の理由はどうしても心から楽しめなくなっ てしまったからだ。 すみれはその理由に気付いていたが、誰かにそれを言うつもりはなかった。 母はああ言ってくれたが、両親が仕事で忙しい事は重々承知している。 ならば、自分の想いは心の内に留めるべきだと、すみれは考えていた。 我ながら頭が固いなと自嘲気味に微笑みながら、すみれは片付けに戻った。
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