「まったく、どうなっていますの。この九条院惺麗に恥をかかせるとは……」 学校からの帰路。 迎えの車の後部座席に腰掛け、遠ざかる学校を見ながらわたくしは独り言を呟く。 折角、気分も乗っていましたのに、目頭を折られるとはこの事ですわ。……あら?鼻だったかしら?まぁ、どちらでもいいですわ。 ああ、モヤモヤしますわ。こんな時は――。 「平塚!今日はいつもよりグレードの高いジュースになさい!」 「そう仰ると思いましたので、既に準備しております。惺麗お嬢様」 「フッ。流石ですわ、平塚」 わたくしの付き人であり、登下校時の運転手を務める平塚にねぎらいの言葉を掛ける。 目をやると、既に後部座席のドリンクホルダーにジュースが用意されている。 恐らく車の発進前から準備していたのだろう。 少々機嫌が悪かったとは言え、気付かないとは。 いかなる時も完璧であるわたくしらしくないですわね。 ドリンクホルダーからコップを手に取り、ジュースを口に運ぶ。 ふふ、今日はアップルジュースですわね。良い味ですわ。 多少は気も晴れてきたわたくしに対して、信号で停車したタイミングで運転席の平塚が声を掛けてきた。 「なにか学校で良い事でもございましたか、お嬢様?」 「あら、なぜそう思うのです?」 「お嬢様の様子を見ていれば分かります。この平塚、お嬢様が生後間もない頃から付き人としてお傍におりますゆえ……」 「フフ、それでは貴方に隠し事は出来ませんわね」 「恐れ入ります」 「安心なさい、平塚!この九条院惺麗に隠すような後ろめたい事は微塵もありませんわ。いいえ、隠したくとも隠せない、が正解ですわね。わたくしの存在が自然と他者の注目を集めてしまうのですから。オーホッホ!」 「ふふふ、やはり良い事があったのですな。よろしければこの平塚にお聞かせ頂けますでしょうか」 嬉しそうな声で平塚がわたくしに訊ねてくる。 わたくしはジュースを一口飲んで喉を潤し、言葉を続けた。 「良いでしょう!今日、ようやくわたくしの眼鏡にかなう者が見つかったのですわ!」 「と言うことはお嬢様、ダンスチームを結成されたので?」 「流石は平塚、話が早いですわ!」 「それはそれは。おめでとうございます、お嬢様」 「まだ気が早くてよ、平塚。今日の時点ではまだ1人だけなのですわ」 「では、もうお一方、探さなければなりませんな」 「その通りですわ。そして、そう思っていた所を学校に邪魔されたのです。この九条院惺麗の覇道を妨げるとは……!まったく!」 下校前の事を思い出し、少し怒りが込み上げてきそうになる。 ……いいえ、いけませんわ。完璧であるわたくしに怒りなど、似合いませんものね。 「なるほど、そういったご事情でしたか。ですがお嬢様、本日に限っては学校側に感謝をしても良いかもしれません」 「?どういう事ですの、平塚」 「本日は昴様からお電話があると伺っております。昴様もご多忙の身故、お話できるのは短い時間となりますが、お嬢様がダンスチームを結成されたと聞けば、さぞお喜びになるでしょう」 な、なんと言う事でしょう……! 一時的とは言え、この九条院惺麗がお兄様の事を失念してしまうなんて……。 もはや、一生の不覚ですわ! 「……こ」 「お嬢様?どうかなさいましたか?」 「こうしてはいられませんわ!!平塚!1秒でも早く屋敷に戻るのです!!お兄様とお話をするならば、身支度を整えなくては!もっと、もっとスピードを出しなさい!」 「お、お嬢様?本日は昴様のご都合で映像付ではなく、お声のみのお電話と聞いております。それに、予定の時間にはまだ充分余裕もございます故、焦らずとも……」 「平塚!先程貴方は言いましたわね!わたくしが何を考えているか分かると。であれば、今この瞬間、わたくしが何を考えているかも分かりますわね!?」 「……かしこまりました。口答えをしてしまい申し訳ございません。この平塚、1秒でも早くお嬢様をお屋敷へお送り致します。スピードを出す故、少々揺れるかもしれません。改めてシートベルトをご確認くださいませ」 「フフフ、それでこそ平塚。貴方に任せますわ」 「身に余るお言葉……!それでは!」 平塚の尽力もあり、わたくしは当初の予定よりも早く屋敷に到着しました。 今度、平塚へ褒美の品を買ってあげましょう。なにがいいかしら……。 ハッ!そうですわ、お兄様に相談すれば良いのです!なんと言う素晴らしいアイディアでしょう!自分の優秀さに我ながら目が眩んでしまいますわ。 *** 『――もしもし、聞こえるか?惺麗』 「はい、お兄様!お兄様のお声がとてもクリアに聞こえますわ!」 屋敷に帰るなりシャワーを浴び、身支度を整え、電話の前で待つ事3時間、海外留学中の昴お兄様から電話が掛かってきた。 『なら良かった。しかし、今日はごめんな惺麗。本当はもっとゆっくり話したかったんだけど、あまり時間がとれそうにない』 「とんでもありません。お忙しい中お電話を頂けて、惺麗はとても嬉しいです」 『ははは、大袈裟だな惺麗は。それで、学校はどうだ?』 「聞いてくださいお兄様。今日、わたくしのダンスチームを結成したんです。あと1人メンバーが必要なのですが、すぐに集めてみせますわ!」 『そうか。惺麗がどんな子を選んだのか楽しみだ。トリニティカップ優勝を目指して頑張れよ』 「はい!必ずお兄様へトリニティカップの優勝トロフィーをお見せしますわ!」 『それは楽しみだ。惺麗たちのチームが大会に出るなら、僕も帰国しないとな』 「本当ですか!?約束ですわよ、お兄様!!」 『ははは、わかったわかった。約束だ。その時は必ず惺麗の雄姿を見に行こう』 「絶対にわたくしのダンスでお兄様を感動させてみせますわ!!それでお兄様――」 楽しい時間はあっという間。今日のお兄様とのお電話ももう終わりの時間。 この九条院惺麗であっても時間を操る事が出来ないのが口惜しいですわ。 『おっと、もうこんな時間か。惺麗、今日はここまでだ』 「残念ですわ、お兄様。次はいつお話できますか?」 『すまない。こっちが色々と立て込んでいて、しばらくは電話もできそうにない』 「そう、ですか……」 その時、自分でもハッキリと分かる程、落胆した声が出てしまった。 お兄様にご心配をお掛けしたくないのに……。わたくしとした事が。 『そんなに悲しそうな声をするな、惺麗。時間が出来たらすぐに連絡するから』 「はい、お兄様。いつでも待っていますわ」 『ありがとう惺麗。父さんや母さん、他の皆にもよろしく伝えてくれ』 「わかりましたわ」 『平塚へのプレゼント、喜んでもらえると良いな』 「お兄様とわたくしで決めたんですもの。絶対に喜んでくれますわ」 『ああ。そうそう、ダンスだけじゃなくて勉強もしなくちゃ駄目だぞ?』 「もう、お兄様ったら」 『ははは。――それじゃあ切るぞ。愛してるよ、惺麗』 「わたくしもです、お兄様。それでは」 プツリと切れた受話器を戻し、しばらくの間、その場で先程のお兄様の言葉を頭の中で繰り返す。 お兄様とお話できなくなるのは辛いけれど、立ち止まってもいられませんわ。 お兄様に喜んで頂く為にも、差し当たって私のすべき事は――。 私はその場でパチンと指を鳴らし、声を上げる。 「平塚!」 「ここに。惺麗お嬢様」 「トレーニングウェアを用意なさい。今日のダンストレーニングを始めますわ」 「かしこまりました。ただちに」 いまのままでも、わたくしが負ける事など考えられませんが、本気でトリニティカップの優勝を頂くとしましょう。 これからは毎日のトレーニング量を増やしていきますわ。
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