阪井龍子。 目の前の女性が名乗ったその名をアタシは心中で呟く。 初代蒼牙のリーダーにして、かつてのトップスター。 ダンスの実力は世界最高峰と言われたカリスマ。 数年前に突然トップスターの座を退き表舞台から姿を消した時、世間が凄い騒ぎになった事を覚えている。 その阪井龍子が、アタシ達のトレーナーになる? 大河でなくても驚くって……。つーかマジで? 「あら?いきなり静かになったわね。そんなにビックリした?」 「そ、そりゃそうですよ。あの阪井龍子さんに会えただけでもビックリなのに、その人がアタシ達のトレーナーなんて。現実味がないと言うか……」 アハハと、アタシが乾いた笑いをしていると、横にいたアリサが首を傾げながら阪井さんに質問した。 「1人?」 「ん?なーに?鮫坂アリサ」 「アタシ達の名前、知っているんですか!?」 「そりゃあ、事前にあんた達の簡単な資料は貰ったからね。で?この子はなんて言ってるの?訳してくれない、鷹橋理央奈?」 阪井さんがアタシにアリサの通訳を求める。 いきなり名前を呼ばれると、ドキッとするなぁ。 「えっと。アリサ、どうしたの?」 「1人?」 我ながら、これだけで何を言いたいかが分かると言うのは凄い事だと思う。 ……特技に追加してもいいかもしれない。 「その子はなんて?」 「えっと、なんでこの教室に1人で来たのかって聞いてます。学校はアタシ達に紹介するって言ってたから、誰かと一緒に来ると思ってたんですけど……」 「ああ、その事?案内しますって言われたけど、私が来なくていいって断ったの。だってさ、私、ここの卒業生だよ?卒業生が校内歩くのに遠慮しなくちゃいけない理由もないでしょ?実際、こうしてアンタ達と話せてるんだから問題ないわよ」 「は、はぁ。なるほど」 どうやら、阪井さんはかなりマイペースな人のようだ。 ……マイペースといえば、さっきから大河が黙り込んでいる。 何かあったのかと横にいる大河を見ると、さっきまでと同じ姿勢で固まっていた。 「ちょ、ちょっと大河?どうしたの、大丈夫?」 「……あ、ああ大丈夫だ。あの有名な阪井龍子さんに会えた事に感動していた」 「それはどうも、虎谷大河。でも、だーれもあたしが誰なのか分からなかったわね」 「そ、それは……。面目ありません」 大河が悔しそうに顔を伏せる。 ダンスに身を捧げていると言っても過言でない大河にとって、初代蒼牙はまさに憧れの存在である。 そのリーダーである阪井さんに気付けなかった自分に腹を立てているのだろう。 「あはは、気にしなくていいって。現役時代はかなり濃いメイクしてたからね。気付かなくても無理ないわよ。――さってと。それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうかね」 「!」 阪井さんの目つきがそれまでの気の良いものから獣のそれに変わったような気がした。 思わず、アタシ達3人は背筋を伸ばす。 「さっきも言ったけど、私は三神理事長からあんた達のトレーナーになるよう言われて、ここへ来た。ただ、私はあんた達の事をよく知らない。だからさ、あんた達の実力、私に見せてくれない?本当に私が鍛えるに足る蒼牙なのか、確かめてあげる。あんた達が私を満足させられなかった時は……トレーナーの話を蹴るわ」 言い終わると、阪井さんは楽しそうに笑った。 その目は獲物を見つけた獣のように爛々と輝いている。 「……フ。光栄です」 「そこまで言われちゃ、アタシ達も本気出すしかないでしょ」 「ん……!」 ワクワクしてきた。 トリニティカップで優勝して以来、本気で臨む舞台がなくて、正直物足りないと思っていた所なのだ。 そんなアタシ達が、あの阪井龍子にここまで言われて燃えない訳がない。 「へぇ……。3人ともいい目してるじゃない。これは期待してもいいのかしら?」 「必ず、我々の実力をあなたに認めさせてみせます。――理央奈!アリサ!ポジションにつけ!はじめるぞ!」 大河の号令を受けて、アタシとアリサは所定の位置につく。 大丈夫、大丈夫。今回はギャラリーも1人だけ。あまり緊張もないはず。 数秒後、阪井龍子の見つめる中、アタシ達は踊り始めた。
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