Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 そして、練習試合当日の朝がきた。
 花護宮高校の校門前に集合した桜映たちは、初めての試合を目前にしてガチガチに緊張して――いることもなく、いつも通りの和気あいあいとした様子だった。テンションは高いようで、桜映と香蓮などは時折手を取り合ってぴょんぴょん飛び跳ねている。
 考え顔で腕を組んでいる咲也がぼやく。

「肝が据わってるというか……まぁ、リラックスしてるのは良い事なのかな」
「はい。私たちなりに楽しんで踊れれば、今日はそれで十分ですから」
「水川さんは? いろんなコンクールを経験してるからかな、やっぱり落ち着いてるね」
「そんなことないです。桜映と香蓮と同じで、すごくわくわくしてます。だってブーケの初めての試合ですから」

 ほんの少し赤らんだすみれの頬。自分だってきっとそうだと思った咲也は、大きく頷いてスポーツバッグを担ぎあげた。

「さあ、行こうか」
「はい! 桜映、香蓮!」
「うん!」
「うん! すみれちゃん、香蓮、東先生! 今日はめいっぱい楽しもうね!」

 桜映が握り拳を空に突き出しながら、一際大きな声で宣言した。

「チームブーケ、しゅっぱーつ!」

***

 そして、運命の朝が来た。
 聖シュテルン女学院の正門に着いた晶は、門の前に腕組みして立つ惺麗を見つけてびくりと体を震わせた。イメージトレーニングに耽っていたため、近づくまで気づかなかったのだ。

「遅いですわよ晶!」
「……だいたい想像がつくけど一応訊くよ。こんなところで何してるのさ」
「決まっていますわ。聖シュテルン女学院を背負って戦うチームのリーダーとして、一番に挑戦状を叩きつけるためですわ!」
「まだ三時間もあるんだけど」
「時間など関係ありませんわ!」
「…………」

 そう言って口を尖らせる惺麗は、その実楽しみで仕方ないような顔をしていて、晶は小さく頷いてイヤホンを耳に掛けなおした。

「たしかに惺麗にしか任せられないね。じゃ、僕は教室で自主練してるから」
「ええ、わたくしに任せなさいな! 春日桜映、首を洗っておいでなさい! オーッホッホッホッホ!」

 呆れた顔で通り過ぎて、いつもの練習教室へと歩く。その間もイヤホンから試合曲を流しては脳裏にチーム全体のダンスを思い起こしていた。惺麗と同じとは認めたくないが、楽しみで仕方なかったのは晶もだった。静かな闘志が身体の芯を熱くするのを感じながら、練習室のドアを開いた。
 すると教室の真ん中にいた星司が、腕組みして大声で笑った。

「遅いぞ晶くん! 聖シュテルンを背負うチームのトレーナーとして時間はまだ早いが一番に来てみんなを待っていた!」
「………はぁ。そういうのもういいから」

 ドアの外に星司を追い出して、晶はトレーニングウェアに着替えを始めた。
 しばらく自主練を続けていると、千彗子が惺麗を連れてやってきた。
 正門に立ち続ける惺麗を気遣ったのだろう。やっぱり須藤さんは優しいと晶は思った。

「どうしても試合前に全員で確認しておきたい箇所があるなんて、千彗子は心配性ですわね。この九条院惺麗が認めたチームメイトなのですから、オーブネに乗ったつもりでいることですわ!」
「うふふ、惺麗さんたら、アクセントは最後のネにつけるのよ。――おはよう晶さん。惺麗さん、朝の五時からいたんですって」
「おはよう須藤さん。やっぱり須藤さんはすごいね。僕はもう会話するのも面倒だったのに」
「もう、晶さんたらイジワル言わないの。チームなんだから、一緒に練習するのが当たり前でしょ」

 千彗子は鞄からトレーニングウェアを取り出しながら、きょろきょろと周りを見回した。

「神奈先生はどこかしら? もういらっしゃってるって聞いたけれど」
「ああ。さっきまでいたんだけどね――練習に集中できなかったから『先生にしかできないことがあるんじゃないですか』って言ったら、どこかに飛んでったよ」
「先生にしかできないことって?」
「さあ?」

 肩をすくめる。困った顔の千彗子が何か言おうとしたが、結局「もう……」とため息をついただけだった。星司はともかく、千彗子にはいらぬ気遣いをさせていると思わなくもない。晶は素直に反省した。

「惺麗、僕もちょうど合わせてみたいアレンジがあるんだ。花護宮のチームを迎えるのも大事だけど、僕らの練習が終わってからでも大丈夫なんじゃないかな」
「アレンジですって? 仕方がありませんわね、すぐに始めますわよ! 千彗子も急いで準備なさい!」
「ええ、すぐに着替えるわね」
「今日はわたくしたちステラ・エトワールの初めての試合。晶、千彗子、覚えておきなさい。練習以上の結果を出さなければ、わたくしは満足したりしませんわ!」
「惺麗。こういうときリーダーって、練習通りにやれば良い、みたいなことを言うんじゃないの?」
「何をわかりきったことを。足元ばかり見ていては、顔を上げて踊れませんもの!」
「そうだね――目標は高く。まぁ、惺麗と同じなのは癪だけどね」
「あら、晶がわたくしと同じレベルだとでも? ちゃんちゃら可笑しくてお腹でお茶が沸かせますわ」
「は? 僕が同じといったのは試合に向けての心構えのことで、ダンスで惺麗なんかと同レベルだなんて言ってないんだけど。……いいよ、だったらどっちが上かダンスで勝負して決めようか」
「望むところですわ!」

 千彗子がトレーニングウェアを抱えて、もう! と声を上げた。

「今日の相手はブーケの皆さんでしょ!」

***

 電車を乗り継いで数十分。駅から歩いてまた十分。閑静な住宅街を通り抜けると、木々に囲まれた大きな敷地が見えてくる。聖シュテルン女学院の堂々たる佇まいだ。
 荘厳な正門に着くと、桜映たちの前に、何やら腕組みをした人影が立ちはだかった。

「待っていたぞ、東!! まさかここで会えるとはな!!」
「げ」

 珍しく嫌そうな顔をする咲也に桜映たちが驚く。ジャージ姿のその男性は高らかに笑いながら、しかしとても親しみを込めて咲也をきつくハグしたので、三人はあまりの衝撃に声を失った。
 慣れた様子の咲也だけが背中をバンバン叩かれながら訊いた。

「星司、なんでここに?」
「よくぞ訊いてくれた! 何を隠そう、僕がステラ・エトワールのトレーナーだからさ! これこそ運命! やはり僕と君は赤い糸で固く結ばれている!」

「「「赤い糸……???」」」

 星司と呼ばれたジャージ姿の男性は、どうやら少し変わった人らしい。『赤い糸』という単語にいくつものハテナマークが三人の頭に浮かんだ。
 初試合への意気込みはどこへやら、仏頂面になってしまった咲也は力ずくで星司を引きはがすと、桜映たちを背中に隠すようにして間合いを取る。名残惜しそうな星司は肩をすくめて、やれやれ、などと他人事のように言っていた。
 質問をこらえきれなくなった桜映が元気よく手を上げた。

「先生先生! 二人はどんな関係なんですか?」
「運命が導いた間柄さ!」
「ただの大学の同期だよ」
「同じ夢に生き、同じ愛を育んだ……」
「部活が同じでチームで踊ってたんだ」
「だが別れは突然に訪れた!」
「就職先も内緒にして音信不通になったのは星司の方だろ。なんでだったんだ」
「わからないか? こうやって再会できたとき、いっそう運命を感じられるからに決まってるじゃないか! ハーッハッハッハ!」
「えーっと……わ、わかりました。東先生とは同級生で、でも運命のせいで連絡も取れないけど、愛なんですね!」

 盛大に混乱する桜映の肩にそっと手を添えて、すみれと香蓮は力なく首を振っていた。
 咳払いをして話を戻す咲也。

「星司、今日は練習試合を組んでくれてありがとう。お互いベストを尽くそう」
「もちろんだとも! 我が聖シュテルン女学院の名に恥じぬチームとサプライズが、東、そして君たちブーケを待ち構えている! 心してついてくるがいい!」
「「「は、はいっ」」」

 大げさな動きで身を翻して、校舎へとずんずんと歩き始める星司。
 後ろをついて歩き出す前に咲也は、目をしぱしぱさせる三人に向けて、まるで自分のせいのように申し訳なさそうに言った。

「俺が言っちゃうのは身も蓋もないかもしれないけど……チームの力量は必ずしもトレーナーによって決まるものじゃない。気を引き締めていこう」
「「「はい!」」」

 返事がぴったりと揃った。
 三人とも、試合への期待に満ちた瞳で咲也を見返していた。咲也の方こそ引き締まる思いで大きく頷くと、星司の後について歩き始めた。
 時刻は午前十時過ぎ。校舎に入ると、朝のひんやりとした空気がまだ残っていた。
 校内には休日にもかかわらず活気があった。何気なく覗いた教室やグラウンドなどでは、多くの生徒たちが真剣な様子で身体を動かしている。球技や陸上競技もあったが、その多くがダンスチームの練習のようだった。
 学内選抜が近いからさ、と星司が説明した。
 階段を上り、磨かれた廊下を進む間も、咲也と星司の会話は途切れることがなかった。つっけんどんにしていても久しぶりに再会した嬉しさがにじみ出ているようで、桜映たちは咲也に気づかれないようにくすくすと笑いあった。
 ブーケの控え室となる空き教室に到着して、トレーニングウェアとウィッシュの入ったバッグを下ろした香蓮が提案した。

「先生、さえちー、すみれちゃん。ステラ・エトワールの人たちにご挨拶に行くのはどうかな」
「そうだね! 東先生、いいですか?」
「もちろん。着替える前に挨拶しておこう。星司、いいよな?」
「フフフ。では一つ隣の教室だ。来たまえ」

 桜映たちはステラ・エトワールの三人を詳しく知らない。初めての対戦相手どころか、桜映や香蓮にとっては同世代でダンスしている人たちに触れ合うことすら初めてだ。
 二人は目配せをし合っていた。桜映も香蓮も、ステージ経験のあるすみれですら、少しだけ緊張しているようだった。

「みんな、リラックスしよう。いや、春日さん風に言えば『めいっぱい楽しもう』かな。せっかくの練習相手なんだから、まずは笑顔で会いに行こうじゃないか」

 ね? と笑顔をして見せる咲也。落ち着いた声が桜映たちに染み渡るようだった。

「しっかりトレーナーをしているじゃないか」
「からかうなよ。そういう星司はどうなんだ」
「愚問だぞ東。この僕ほどステラ・エトワールにふさわしい傑物がいるものか!」
「ほんとか? 星司が何か教えてる姿って、未だに想像できないんだよな」
「ハーッハッハッハ、そんなことないぞ! うん、そんなことないぞ」
「二回言った?」
「この僕が手を掛けずとも自ら学び成長する優秀な者たちなのだ」
「それって教えてないんじゃ」
「さあここだ! 春日くん水川くん芳野くん、心の準備は良いかね?」

 大きな身振りで振り返る星司が指した教室からは音楽が流れていた。
 窓越しに、中の練習風景が全員に見えた。

「といっても、一曲通しで練習中のようだ。すまないが少し待っていてくれたまえ」

 言われなくても、ドアを開けるのが躊躇われた。
 廊下にいてもわかる。アップテンポな曲調と靴底が擦れる音が、華麗なリズムを刻んでいた。三人の息がぴったりと合った磨き抜かれた動き。振り付けは大きく豪華で、それでいて余裕があり優雅だ。
 特に目を奪われたのはセンターの、日本人離れした美少女のダンスだ。
 ともすれば全員の邪魔になる長い髪すら思い通りに操って、大胆なアクセントとして魅せていた。
 かと言って両端の二人が見劣りすることもない。上手なだけでなく、それぞれの動きに込められた感情がはっきりと伝わってくる。そんなダンスは、観客側の視点に立って、数えきれないほど試行錯誤しなければ生まれないだろう。

「――――――」

 桜映も香蓮もすみれも、息を呑んだ。
 試合を忘れて見入っても仕方がなかった。

「踊り切るまでの間に紹介だけでも済ませておこうか。レフトが須藤千彗子くん、先代からチームを受け継いだ唯一の二年生だ。ライトが和泉晶くん、今年の新入生でこの僕が発掘した人材だ。フフ。そしてセンターが九条院惺麗くん。彼女はひと言で言って――女神さ」

 九条院惺麗という響きが、桜映の胸のうちにすとんと収まった。
 本当に女神のようで、ぴったりな名前だと思ったのだ。
 ――曲が余韻とともにフェードアウトしていく。

「素晴らしい……いつにも増して素晴らしいダンスだったぞ。よし、惺麗くん! 晶くん! 千彗子くん! 集合だ!」

 星司に導かれて桜映たちは教室のドアをくぐった。先ほどのダンスの熱気がまだ残る中、星司の合図でステラ・エトワールのメンバーが集合した。
 自信に満ちた表情で髪をかき上げている惺麗。やわらかく会釈している千彗子。晶はなにか言いたげな様子ですみれをじっと見つめていた。

「すみれちゃん、知り合い?」

 香蓮が訊いてくる。たしかにどこかで聞いたことがある名前だったが思い出せない。
 すみれは首をかしげつつ、会釈をした。
 その途端、ショートカットの女生徒は驚いた顔になって、ぷいと目を逸らしてしまった。なにか良くないことをしてしまったようだが理由がわからない。わからなかったが、すみれは申し訳なく思った。
 千彗子が一歩前に出る。

「今日は遠いところ来ていただいてありがとうございます。ステラ・エトワールの須藤千彗子です。今日は練習試合ということで、ブーケの皆さんの胸を借りるつもりで精一杯踊ります。いろいろアドバイスし合えたらと思いますので、皆さん、どうかよろしくお願いしますね」
「は、はい! えっと、花護宮高校ブーケの春日桜映っていいます。こっちが芳野香蓮ちゃんで、こっちが水川すみれちゃんです。今日はよろしくお願いします!」
「ええ。春日さん、芳野さん、水川さん。お互い頑張りましょうね」
「オーッホッホッホ! わたくしが九条院惺麗ですわ! 春日桜映、よくぞここまで来ましたわね! あなたがたの本気のダンスを楽しみにしておりましたわ! 存分におやりなさい!」
「よ、よろしくお願いします!」
「ハーッハッハッハ! 惺麗くんは声も言動も大きいが驚かないであげてくれたまえ。ハーッハッハッハ!」
「うるさいのは先生だよ……。さあ、挨拶はもういいんじゃない? しっかりウォーミングアップの時間を取らないとケガするよ。満足に踊れなきゃ練習試合にならないからね」

 さっぱりした言葉は、晶らしいようでどこか違う。そう感じた千彗子は晶の言葉を引き継いで続けた。

「晶さんの言う通り、怪我なんてしちゃ大変だものね。リラックスしてしっかりストレッチしてから、いっぱい練習しましょう」
「そうだね。――それじゃあ春日さん、水川さん、芳野さん。さっそくトレーニングウェアに着替えて、ウォーミングアップから始めよう」

 咲也の言葉に、桜映たちは慌ててうなずいた。

「では改めて――今日はよろしくお願いします」
「「「お願いします!」」」

***

 ブーケのメンバーを見送ってから、スポーツドリンクで喉を潤わせている晶へ、千彗子は怪訝な様子で振り向いた。

「晶、一体どうかして? らしくなさが顔に出ていますわよ」

 先に声を掛けたのは惺麗だった。千彗子と同じく、惺麗も晶の様子に違和感を覚えていた。
 首に掛けたタオルで口元を拭いながら、晶が目を逸らして口を開こうとした。

「『別に……』でも『何でもない』でもありませんわよ。このわたくし、九条院惺麗の完璧な目は誤魔化せませんわ! 晶、あなた何か隠しているでしょう!」
「…………」
「千彗子にまで心配させているのがわかりませんの? 素直に白状することですわ!」
「晶さん。言いにくいことだったら無理に言わなくてもいいのよ。でもさっきのときも、プロフィールの資料を見たときだって、なにか思いつめているみたいだったもの」
「…………」
「私たちで力になれることが、きっとあると思うの」
「……須藤さん」
「ね? よかったらお話してくれないかしら」
「……わかった。須藤さんに迷惑かけられないからね」

 晶は困ったように笑って言った。
 そしてぽつぽつと語り始めたのは、晶と水川すみれの思い出だった。コンクールではいつも晶の上にすみれがいた。といっても一方的に追いかけていたのは晶の方で、すみれは晶のことに気づいてもいなかったようだ。
 表彰で隣に立ったことも一度や二度ではない。なのにすみれは、簡単な会釈で晶への挨拶を済ませたのだ。

「歯牙にも掛けられてないって知ってたはずなのに――なんでだろ。思ってたよりしんどいや」

 笑って見せる晶を、千彗子は自分の胸に抱きしめた。

「言ってくれてありがとう、晶さん」
「うん。……言ってしまえばそれだけのことなんだ。心配かけてごめん」
「それだけのこと――ですって?」

 惺麗の声は、怒っていた。尖った言葉を向けられて、晶と千彗子が惺麗を振り返る。

「それだけのことじゃありませんわ。そうでしょう晶?」
「惺麗さん、ちょっと」
「黙りなさい千彗子。言ってしまわないとチームメイトとして、リーダーとしてのわたくしの気が済みませんわ」
「でも惺麗さん――」

 手で制す惺麗。惺麗の言いたいことがわかってしまった千彗子は仕方なく引き下がった。

「晶、悪いのが誰かはっきり申し上げましょう。水川すみれのせいにして、頑張ったけれどダメでしたわといった顔でいるのは誰でしょう。――それは晶、あなたですわ!」
「…………は、はぁああ?」
「気づかれてない? 覚えられていない? それが何だというのでしょう。あなたの努力が足りなかったのでなくて? それは惰弱というのですわ!」
「惰弱――惰弱だって? もう一回言ってみろ。僕がいつダンスを怠けた」

 噛みつく晶。今まで見たことがないほどの怒気を、惺麗は動じることなく受け止めて見返していた。

「僕のダンスを貶されるのだけは我慢ならない。僕はずっと努力してきた。怠けたつもりなんて一切ない。誰にも負けない練習を積み重ねてきたって胸を張って言える! それは水川すみれに対してでも、惺麗、君に対してでもだ!」

 重ねてきた努力が晶の自信を後押しする。誰にも負けない絶対の覚悟。プライドを持ってダンスに臨んできた。そしてそれは一緒のチームで踊ってきた惺麗にだって――結成してまだ日が浅いとしても、同じチームもメンバーには、きっと伝わっているはずだと思っていた。

「たしかに惺麗は上手いさ。完璧で惚れ惚れするよ。だけど負けているなんて思ったことは一回だってない。僕はずっとそういう覚悟で踊ってきた! そしてそれは――……惺麗、君も知ってると思ってた」

 言いながら、晶は自分の言葉を信じられない気持ちで聞いていた。
 まるで裏切られたときのような台詞だと思った。自分が惺麗や千彗子、ステラ・エトワールにそこまで入れ込んでいたなんて、初めて気づいたのだった。
 惺麗はすべてを受け止めて、大きくうなずき返した。

「ええ、知っていますわ。晶が誰よりも努力家で、誰よりも自分に厳しいことくらい。だからわたくしは腹立たしいのですわ。そうまでして立派に積み重ねた努力を自分で台無しにしようとしていた晶を、認めるわけにはいきませんもの」
「…………惺麗」
「勘違いしないことですわ! リーダーとしてこの九条院惺麗率いるステラ・エトワールのチームメイトが、心のこもっていないふにゃふにゃのダンスをするなんてことがないよう、釘を刺したまでですわ」
「晶さん。私も晶さんのダンスが、誰かに負けているなんて思ったことはないわ。きっと伝わる――ううん、魅せつけて目が離せないようにしちゃいましょ。だって私たち、輝く星なんですもの」

 冗談っぽくウインクする千彗子に胸があたたかくなるのを感じながら、晶も冗談めいて呟いた。

「僕も、輝いてるのかな」
「まだお解りになりませんの? それを決めるのは晶、あなた自身ですわ」
「わかってるよ。――まぁ惺麗よりは輝いてるかな」
「オーッホッホッホ! 良い度胸ですわ。では試合で――」
「いいよ、受けてたとう――」
「惺麗さんも晶さんも! もう――」

 そんな三人の様子を見つめて、星司はうんうんと何度もうなずきながら、そっと教室を後にした。

「それでこそ綺羅星――ステラ・エトワールだ! さあ、僕も僕にしかできないことの最終仕上げに取り掛かるとしよう。ハーッハッハッハ!」

***

 一方、教室に戻った桜映たちはトレーニングウェアに着替えて、準備運動で体をほぐしていた。
 惺麗たちのダンスの衝撃に、みんな言葉少なになっていた。

「ステラさんのダンス、すごかったね」

 ぽつりと香蓮が言った。うなずくすみれは、しかし続けるべき言葉に迷った。本当にすごかったと褒めちぎるのも、反対に、自分たちの方がいいダンスができると励ますのも、どこか薄っぺらく聞こえてしまいそうな気がしていた。
 それほどステラ・エトワールのダンスには迫力と、有無を言わせないインパクトがあった。
 口をつぐんでしまうすみれと香蓮をフォローしようと身を乗り出した咲也は、ふいに聞こえてきたメロディーに気づいて目をやった。

  「ん~、ふんふ~ん、ら~ん……」

 桜映が軽く口ずさみながらステップを踏んでいた。
 試合のために練習してきた振り付けではなかったが、覚えのある動きとメロディーだった。しかもつい最近どこかで、と咲也が思い起こしているうちに、すみれが驚いた声を上げた。

「桜映、それって、さっきステラ・エトワールの方たちが踊っていた振り付けじゃない」
「えへへ。見てたら真似したくなっちゃって。……あ、もしかしてダメだった?」
「ううん、ダメじゃないけど――一回見ただけ、だよね?」
「うん! すみれちゃんに基礎はばっちり教わったから、もしかしてできるかな~って。香蓮も一緒にやろ?」
「さ、さえちー?」
「ん~、ふふ~ん、のところでこう、ら~ら~のところでこう、だよ」

 戸惑いながらも桜映の真似をしてステップを踏む香蓮。慎重に足跡を辿るようなステップだったが、次第に軽やかな足さばきに変わっていく。

「ほら一緒に。ん~、ふんふ~ん、らんら~」
「ん~、ららら~、らら~」
「らら~、ん~んん~♪」
「らら~♪」

 腕の振付が加わって、桜映と香蓮のダンスが少しずつ大きくなる。
 繰り返すうちに二人の顔に笑顔が戻ってくる。

「すみれちゃんも! 一緒に踊ろ!」
「えっ、私も?」
「当たり前だよ! ね、香蓮?」
「うん! かれんからもお願いだよ!」

 桜映の右側へと引っ張られたすみれが、二人の動きのタイミングを計る。
 懸命に千彗子の動きを思い出してリズムを追いかける。自然と鼻歌を歌っていた。
 三人のダンスがひとつに合わさる。
 ほとんど無理やり合わせたはずの振り付けは、驚くほどぴったりとシンクロしていた。
 一度見ただけなので、アレンジも振り付けの工夫ももちろんない。ダンスの完成度などそもそも比べるべきではない。誰に見せるものでもなく、しかし桜映たちの鼓動はドキドキと早くなる。三人の息が合うのがただひたすらに気持ちが良かった。
 鼻歌は次第に大きくなり、三人はメロディーを口ずさみながら踊る。
 それはただ踊るよりも、なぜかずっと楽しく感じられた。

「すみれちゃん、香蓮! なんだかあたし、とっても楽しいかも!」
「かれんもだよ! どうしてなのかな!」
「私も! すっごく楽しい!」

 桜映の奏でた和音のハーモニーがメロディーに厚みを持たせる。動きとハーモニーのシンクロに、桜映たちだけでなく見ている咲也も揺さぶられる気持ちがした。
 観客として惹きつけられていた咲也が、ふと我に返ることができたのは、桜映のリズムが若干走り始めたせいだった。バランスが崩れ、チームのテンポがちぐはぐになる。
 身体が桜映とぶつかりそうになったところで、すみれは手を叩いて流れを止めた。
 膝に手をついて、三人とも、肩で大きく息をしている。
 それは踊りながら声を出したせいもあるが、きっとそれ以上に心臓がドキドキと跳ねているせいだと、桜映たちは互いを見合わせて、笑った。

「ステラさんのダンスむずかしいねぇ。かれん、全然だめだめだったよ」
「そうね。私もまだまだ。もっと練習しないといけないわね」
「でもでも、結構いい線いってなかった? あたし良かったと思うな!」
「桜映~?」
「ごめんなさい、調子にのりました……」

 くすくすと笑い合う姿はもう普段のブーケの様子だった。
 咲也が微笑んで、それぞれにドリンクを手渡した。

「もう緊張も大丈夫そうだね」
「はい! 早くステージで踊りたいです!」
「うん、その意気だ。さっきも言ったけど、これは練習試合だ。勝敗を気にせず、存分にステラ・エトワールから刺激を受けておいで。めいっぱい楽しもう!」
「はい、楽しんできます! でも東先生、やるからには」
「うん! やるからには勝つよ! だってあたしたちの目標は」
「トリニティカップ優勝、だもんね!」
「――参ったな。うん、俺が悪かった、言い直そう――みんな。今日の試合、勝ってこい!」
「「「はい!」」」

 そして、間もなく――
 試合の時間がやってきた。

***

 案内の星司の後について、ブーケ、ステラ・エトワールの面々が並んで廊下を歩いていく。
 どちらのチームもステージ衣装に着替えている。ブーケはピンクを基調にしたフリルの可愛い衣装で、ステラ・エトワールは白に金色のラインが入ったエレガントなものだ。
 本番と同じ衣装で行う旨は元々の案内にあったことだが、いま思えば星司の要望に違いなかった。
 前を歩くブーケを見つめて、聞こえない声で晶は惺麗にささやいた。

「春日桜映……どこがそんなに惺麗の気に掛かったんだい?」
「ダンスを見れば分かりますわ。彼女のダンスには、何かがありますの!」
「何か、ね」

 春の新しい風が吹いている。その風は果たして花を咲かすか、星を輝かせるか。
 渡り廊下の先に、体育館の入り口が見えた。
 星司が閉じられたドアに手をかけて、桜映たちを大げさに振り返った。

「さあ諸君、よくぞここまで来た。聖シュテルン女学院の代表として歓迎しよう!」
「星司? 何をしておりますの。中に入りますわよ」

 怪訝そうな惺麗へ、不敵に笑って見せる星司。

「君たちが準備している間、僕も準備を進めていたのさ。さあ見たまえ!――今日は君たちのために特別に観客を呼んでおいたぞ!」
「え」

 全員が驚くなか、星司は勢いよくドアを開け放った。
 途端、大きな歓声が体育館に響き渡る。体育館の中央にステージがこしらえてあり、その周りを大勢の観客が埋め尽くしていた。

「学校中にアナウンスして集めておいた! なのでッ! 本番と同じルールで観客の皆に投票してもらい勝敗を決めようじゃないか!」

 高らかな星司の言葉。湧き立つオーディエンス。
 大勢の視線の圧力が桜映たちに、そして惺麗たちに押し寄せた。

「聖シュテルン女学院<ステラ・エトワール>! 花護宮高校<ブーケ>! ここに両校の練習試合の開催を宣言する!!」
「「「え、えーーーー!!」」」


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