Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 着替える間、咲也には廊下で待ってもらっていた。
 香蓮のつくった衣装はステージを経験した後でも破れもほつれもなく、やはり素晴らしい出来だった。それをすみれは丁寧に畳んで鞄にしまった。
 洗濯の仕方を後で香蓮に尋ねようとか、いまから帰ると何時くらいになるだろうとか、なんでもないことを考えるようにしていた。そうしないと、ステラ・エトワールのダンスが繰り返し思い出されて、止まらなかった。
 よいしょ、と上着に首を通して、香蓮が言った。

「練習のときもすごかったけど、ステラさんのダンス、ステージじゃもっとすごかったねぇ」
「そうね。……振付も表現も魅力的で、素晴らしかったわ。きっとものすごく練習したんだと思う」
「かれんたちもお客さんから見たら、あんな風に踊れてたのかなぁ。ね、さえちー」
「……そうだね。うん、たぶん……」
「……桜映?」
「さえちー?」
「――あ、ううん。その……ほんとに、すごかったなって……」

 そこで桜映は、はっと気づいたように顔を上げた。

「ううん。香蓮の言うとおり、あたしたちもきっとあんな風に見えてたよ! なかなか合わなかったところだってぴったり揃ってたし、香蓮もすみれちゃんもすっごく良かった! あたしたちって本番に強いのかも? ……って、えへへ、それは言いすぎだよねぇ……」
「さえちー――」

 香蓮とすみれからの気遣わしげな視線を受けて、一瞬、桜映は申し訳なさそうに目を伏せた。
 もう一度上げた顔は誤魔化すように笑っていた。

「それより、負けちゃってごめん! リーダーのあたしがもっとしっかりしなきゃって感じたよ! ほんとごめんね! さあ、帰って練習練習――ってたまにはそれっぽくしてないと、すみれちゃんに怒られちゃうもんね」
「そんなことで怒らないわよ。――でも桜映、早く着替えないと、東先生を待たせっぱなしよ。リーダーが一番遅いなんてどうなのかしら」

 廊下から咲也の声が、呼んだかい? と聞こえてきて、桜映が慌てて着替えを済ませる。
 ばたばたと荷物を詰め込む手がふと止まっては、思い出したかのようにまた詰めるのを繰り返していた。その合間に、誰にも聞こえないような小さな声がそっと届いて、香蓮とすみれが顔を見合わせた。

「……ほんと、すごいステージだったな……」



 退室の準備を整えて、三人を気遣いつつ先導する咲也と一緒に校舎を出る。
 帰り道の向こうに聖シュテルン女学院の制服を着た生徒が並んでいるのが見えた。校門の側で、惺麗たちステラ・エトワールの三人と星司が、見送りのために待っていた。

「春日さん、水川さん、芳野さん。今日は遠いところありがとうございました。みんな一生懸命に踊ることができて、とってもいい練習試合でしたね」
「はい。その……こちらこそありがとうございました!」

 桜映の言葉に合わせて、全員でぺこりと頭を下げる。並んだすみれをちらりと見て、千彗子はそっと背中に隠れた人影を促す。押されて出てきたのは、晶だった。
 すみれがあっと思う。謝りたいと朝から思っていた。しかし何に謝るべきか見つからず、切り出せないままになっていた。
 ぎこちない様子は晶も同じだった。すみれの前に立ってもすぐに言葉は出てこなかった。
 さんざん迷って目線を泳がせた後、睨むように見据えて、大きく息を吸った。

「――――晶! 和泉晶! それが――僕だ!」

 面食らうすみれ。
 勢いのまま、晶は続けた。

「水川すみれ、君はこれで終わりじゃないだろ。君のダンスはまだこんなもんじゃない。都大会を乗り越えてこい。僕たちは関東大会で待ってる。そして君たちをもう一度倒してトリニティカップの本選に行くのは、僕たちだ!」

 青く燃えるような瞳をしていた。
 熱いと感じたのはその視線ではなく、すみれ自身の胸のうちだった。
 背筋は冷たいのに胸はどこまでも熱く痛い。こめかみに血が上る感覚を初めて味わう気がしていた。
 晶の視線を受け止めてまっすぐに返す。
 すみれは右手を差し出した。

「和泉さん――和泉晶さん。次は、負けない」
「僕もだよ、水川すみれ」

 差し出された手を握り合う。すみれと晶はお互いに見つめ合いながら、固く握手した。
 惺麗も桜映へと手を差し出した。

「良い練習試合でしたわ。トリニティカップへ向けてお互いベストを尽くしましょう」
「はい! 次は負けません!」

 意外にもあっさりと握って離れる手を眺める星司は大人しい。怪訝な顔で咲也がつつく。

「僕だって空気くらい読むさ」
「……そうか。星司、今日はありがとう」
「ああ。またいつでも胸を借りに来るがいい。東なら大歓迎だ」

 微笑んで星司の肩を叩いて、咲也は鞄を担ぎ直した。

「そろそろ行こう」

 三人がうなずいて礼をする。
 校門を背にして歩き出す桜映に並んで、香蓮は横から覗き込むようにして言った。

「さえちーらしくないよ」
「香蓮?」
「さえちー、なんだかずっと言いたいことを我慢してるみたい。さえちーはさえちーらしく、いつものさえちーでいればいいんだよ。さえちーはリーダーだけど、さえちーはさえちーだから、さえちーが思ったことを言っていいんだよ」
「香蓮の言うとおりよ。今を逃すと、もう二度と言えないかもしれないわよ。それでもいいの?」
「ステラさんたちにダンスがかっこよかったって、言ってこなくていいの?」
「……ありがとう。でもね――でも、言えないよ。だってあたしはブーケのリーダーだもん」

 目を伏せる桜映に香蓮は言った。

「そんなのかれんもすみれちゃんも気にしないよ?」

 そして桜映の額に、えいっと掛け声をしてチョップした。
 頭を抱える桜映に香蓮がいたずらっぽく笑って、すみれが促した。

「ちゃんと待ってるから」
「うん。――うん! みんな、ちょっと待ってて!」

 下ってきた道を走って戻る。校門の側で見送っていた惺麗たちの目の前まではすぐだった。どうしたのかと窺う千彗子と晶の、一歩前に惺麗が立った。
 じっと桜映の言葉を待っていた。

「あの! ステラ・エトワールのダンス、ほんっとーにすごかったです! あたし対戦相手なのに、ずっと見とれちゃってました! 九条院さんも和泉さんも須藤さんもみんな息ぴったりだし、なのにお客さんの視線を取り合うみたいにバチバチ戦ってるし、でも一体感があって、なんていうかもう、凄かったんです! 負けたばっかりなのに、こんなこと言っちゃチームのみんなに悪いって思うけど、でもずっとキラキラ輝いててかっこよかったんです!」

 こみ上げる想いに言葉が追いつかない。
 ずっと頭にステラ・エトワールのダンスが回っていた。
 どの瞬間も鮮明に思い出せた。釘付けになって見ていたからだ。
 こんな感動は初めて蒼牙のダンスを見たとき以来だった。
 鼓動が耳を強く打つ。心臓の音は高まってステージから見た景色を呼び覚ます。
 目頭が熱い。

「こんな凄い人たちに、勝ちたい! ううん、絶対勝つ! だからあたしたちとまた勝負してください!」

 その途端、嬉しそうな高笑いが響いた。じっと聞いていた惺麗が口元に手を当てながら、大きく笑っていた。

「オーッホッホッホッホ!! よくぞ言い切りましたわ! それでこそ、わたくしの認めたライバル! 春日桜映――いえ桜映! これからわたくしのことは惺麗と呼んでも構いませんわよ! いつでもかかってらっしゃい!」
「うん! ありがとう、惺麗ちゃん!」

 桜映が手を振って駆けていく。少し先で待つチームメイトのもとへと向かっていく。

「ちゃん付け……! 晶さん、惺麗さんがちゃん付けで呼ばれてるわ」
「ここまで似合わないといっそ新鮮だね。というか惺麗の家ってちゃん付けで呼ばれたりするの? もしかして生まれて初めてじゃないの」
「ほんとね! 桜映さんってやっぱりすごいわ」
「晶、千彗子、何をぼそぼそ言っているの! さあ、練習ですわ! 星司、先ほどのステージの映像を準備なさい」
「そうするとしよう! 我らがステラ・エトワールは研鑽を怠らないッ! ――ところで誰がステージを撮影していたのかな?」

 騒がしく惺麗たちが校舎へと戻っていく後ろで、桜映がすみれと香蓮にごめん! と勢いよく頭を下げた。

「リーダーなのに相手チームを褒めてごめん!」
「いいわよ。モヤモヤしてる桜映なんて、らしくないもの」
「そうだよ。さえちーはさえちーらしく、だよ。ちゃんと全部いえた?」
「うん! もう平気! ありがとう香蓮、すみれちゃん」
「ううん。それに、次は絶対勝つんだもんね」
「もちろん! 次は、ぜったいに勝つ……――あれ?」

 明るく笑ったはずの桜映の頬を、水滴が伝い落ちた。
 慌てて拭うが、一筋、二筋と、溢れた涙は堰を切ったように流れていく。

「あれ? あれれ――ちがう、ちがうよ――悔しくなんか――勝つから、次はぜったい勝つから、悔しくなんて――」

 奥歯を噛んで涙をこらえようとする桜映につられて、我慢しきれなくなった香蓮が大粒の涙をこぼした。しゃくりあげる肩を抱くすみれもぽろぽろと泣いていた。
 咲也は三人の頭を順番に撫でた。

 春の空にはうす雲がかかり、白くかすむように滲んでぼやけていた。
 穏やかな日ばかりではない。桜映たちの足元にだけ雨が降っていた。

「先生――あたしたち、まけました」
「そうだね」
「ステラ・エトワールのダンス、すごかったです」
「うん」
「すっごく――すっごく、くやしいです」

 そこには新しいつぼみが風に揺れている。  季節は一歩ずつ前に進む。桜映たちのなかに、次の花が咲こうとしていた。



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