Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 とある運動競技場。
 ひしめくは長谷部有瓜包囲網の賛同者たち、延べ200校にして1万にも届くつわものたち。
 それをスタンド席から見下ろす本陣高校生徒会は10名に満たない。
 先頭で仁王立ちするのは本陣高等学校生徒会長、長谷部有瓜。
 その隣には生徒会書記である正宗葵。一歩引いた有瓜の後ろに副会長や無役職の生徒会メンバーが青い顔で控えている。あまりの光景に言葉を失っている。
 唖然としながら、副会長が口を開いた。

「これ全部相手するんですか?」

 いやまさか、と笑い飛ばしてほしい口調だった。

「葵」
「は、はい」

 端の方からゆっくりと見渡していた有瓜は葵を呼んだ。

「1校ずつ合戦していったらどれぐらいかかる?」
「わ、わからないけど……夜までかかっても終わらないんじゃないかな」
「あー、そりゃだめだ。ちゃっちゃと片づけるしかねーな」

 有瓜は一足飛びでスタンド席の縁まで駆け降りると、競技場の端まで届く大声を張り上げた。

「お前ら! 誰だかしらないが有象無象のやつら! お前らなんかとちまちま戦ってらんないぜ! どうしてもウチの学校を倒したいんなら、まとめてかかってきやがれ!」

 鉄柵を片足で踏みつけて、そして有瓜は不敵に笑う。

「まぁ私が負けるわけないけどな!」

 うおおお! とグラウンドから地鳴りのような雄たけびが上がって、本陣高校の面々が震え上がった。そちらを振り向いて有瓜は言った。

「夕方から観たいテレビあるんだよな」
「テ、テレビのために挑発したんですか!」

 副会長が青くなってもどこ吹く風で、有瓜は歯を剥き出して笑い、そしてグラウンドへ飛び込んでいった。

***

 翌日。本陣高校の廊下にて。
 昨日の合戦で獲得した施設を各部活に配分するため、葵は学校中を回ったところだった。
 隣にはもう1人生徒会のメンバーが付き添っていたが、葵は出来る限り、無反応を貫いていた。

「しかし200校を相手に一度も負けなしとは、化け物ですな。此度こそ長谷部の情けない顔が見られると期待したのですが」
「……」

 彼女は正真猪(まさざね いの)という。正宗本家から寄越された分家筋4人のリーダーにあたる女生徒だ。
 つまり葵をからかいいじめている4人の主犯である。
 葵は苦労して無視を続けたが、正真はその反応を楽しんでいるようだった。

「お父上の堪忍袋がまた限界に近づきましたぞ。早く主命を果たさねば。――おや、主命のことをお忘れですか? 長谷部有瓜を葵様が」
「やめてください」
「ご安心を。誰も聞いていませんよ」

 クククク、と意地悪く笑う。
 一刻も早く生徒会室に戻ろうと足を速める葵。正真はぴったりとついてきた。

「私は、葵様に意志がないならそれでよいと思うのです。我らは葵様を主とする隠密なれば、主の無言なる意図を汲むのも役目でありましょう。――言い方が悪かったでしょうか? これから我ら4人が長谷部を再起不能にするから邪魔するなと申し上げたのですが」
「……からかって、楽しいですか」
「いいえ、ちっとも。ですが本当に、どこもかしこも我慢の限界ですので」

 正真が突然、後ろから葵を羽交い絞めにした。
 すると周囲に新たな人影が3つ現れて葵にとびかかった。正真と同じく本家から遣わされた3人の女生徒だ。
 正面から長身の、右からは眼鏡の、左からはボブカットの女生徒がそれぞれ葵に襲い掛かる。
 ――が、次の瞬間に葵は正真の腕から抜け出していた。

「いつの間に――」

 気配もなく抵抗もなく、無駄もない動作。
 無音の歩法で3人の攻撃をかわして、舞踊を踊るようにその脇をすり抜ける。
 緩やかな動きに見えて、瞬く間の出来事だった。葵に襲い掛かったはずの3人の拳は、その場に取り残された正真の両頬とみぞおちに突き刺さっていた。

「グエぇぇ――!」

 もんどりうって倒れる音がして、さすがの葵も振り返る。
 正真は廊下に大の字で寝ころんでいたが、不敵に笑いながら再び起き上がった。

「クククク――ゲホ、ゲホッ。それでこそ葵様……」

 葵は逃げるように生徒会室へと駆け去った。
 4人はついて来なかった。正真の声だけが葵の背中を追いかけてきた。

「お父上はすでに動かれた。そして謀反の種も燻っている。さあ、葵様の出番ですよ――」

***

 生徒会顧問である愛田近景先生は、長谷部校長の指示で有瓜の世話役を兼ねている。
 葵にとっては羨ましい立場だが色々と我慢ならないようで、先生は定期的に金切り声を上げながら謀反を起こす。

「昨日とってきた施設の事務処理を? 200校分を? 1日で? できるわけないでしょうが馬鹿か!」
「なんだと、バカっつったな! やれっつったらやるんだよ! あと今月の給料マイナスな!」
「マイナス!? 冗談じゃないやってられるか! こんな職場辞めてやる、労働基準監督署にも教育委員会にも訴えまくって辞めてやるからな――!」
「待ちやがれ!」

 紙の書類を舞い上げて逃げる先生を追って、有瓜が階段の下へ消えていった。
 忙しいのはそこだけではない。生徒会のメンバーは総出で合戦の後処理に追われていた。部屋の中は嵐のような慌ただしさだった。

「やっほー! 有瓜ちゃんいる? ってうへぇ。なにこれ」

 桐栄が生徒会室を覗き込んで顔をしかめた。一通り見渡して「じゃあまたねー」と早々に帰っていく。
 昨日の合戦のあとは各校との話のまとめ役として活躍していたのだが、事務仕事は好みではないようだ。

「正宗さん、ご苦労さま」

 葵が戻ったのに気づいて、生徒会の副会長が声をかけてきた。
 次はこの申請書のまとめをよろしく、と新たな仕事を回される。気を揉む暇もない忙しさだ。
 やれやれといった顔で有瓜が帰ってきた。

「はー。愛田のやつはあれだな。クビだな。散々やることやらせてクビだな」
「ゆ、有瓜ちゃん。それはちょっとあんまりじゃ……」

 そう言いながら傾けた手元の書類の束から、するりと封筒が1通滑り落ちた。
 葵はそれを拾い上げた。

「あれ?」
「ん?」
「――ゆ、有瓜ちゃん! これ! 教育委員会から手紙だよ!」
「なにぃ! 教育委員会だと!」
「うん!」
「教育委員会か!」
「うん……?」
「知ってる知ってる。あれだろ。図書とか園芸とか体育とか。ウチにもあったな」
「そ、その委員会とはちょっと違うかも……! 東海にある学校全体を監督してる組織で、学校長の任命や人事異動も考えたりする組織だよ」
「なんか偉そうな感じだな。で、その手紙はなにが書いてあるんだ」
「ちょっと開けるね。えっと……有瓜ちゃんに話を聞きたいから、教育委員会本部に来られたし。日時は……今日だよ! 大変!」

 あまりの余裕のなさに消印を確認すると、なんと1週間前になっている。
 訝しむ葵。郵便は必ず誰かがチェックしているので、見落とすことなどないはずだ。

「急になんだなんだ。話がききたきゃ自分から来いっつーの」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ! 来なかったら学校側にも罰則があるって」
「なにぃ? ふざけんな!」
「でも、それができてしまうのが教育委員会なんだよ……!」

 学校どころか有瓜個人への処罰もありうる。そんな超法規的な組織が東海の教育委員会だ。

「紙切れ一つで命令しやがって。文句言ってやんなきゃ気が済まないぜ!」
「うん!」
「――そこのお前とお前、あとやっとけ! 行くぞ葵! 教育委員会はどっちだ?」

 葵は両手に抱えた申請書の束を副会長に押し付けると、有瓜の前に立って走り出した。

***

 本陣高校から数駅離れた、東海で最も賑々しい街中。
 大きく開けた公園とその端にそびえ立つ高層ビル。その足元に2人は到着した。
 すでに日は傾き、夕暮れが近い。指定の時間まで幾ばくもない状況だった。

「ここだよ! このビルの100階が指定場所になってるみたい」
「大層なビルじゃねーか。入り口の前は広い公園だし、ここになんとか委員会ってのがいるのか」
「教育委員会だってば……でも何とか間に合いそうだね」

 夕暮れ時にもかかわらず、駆け込んだロビーにはひと気がなかった。
 見渡してエレベーターを見つけると、2人は上へ向かうボタンを連打した。

「ん? これ動いてなくないか?」
「ほ、ほんとだ……! 反応しない!」
「葵、階段はあるか?」
「ううん――おかしいな、非常階段とかが近くにあるはずだけど……」
「なんだそりゃ。エレベーターが使えなきゃ、どうやって上がってこいっつーんだ! ――って、おお?」

 握りこぶしを打ち付ける有瓜。
 すると、何もなかったはずの壁の一部が、ズズッと回転して隙間をのぞかせた。

「か、隠し扉!」
「なるほど。粋なことするじゃねーか」

 1人分開いた隙間を有瓜がくぐる。葵も続いて通り抜けるとそこはコンクリート造りの無機質な階段が上に向かって延びている部屋だった。
 13段で踊り場で、折り返して計26段で次の階へたどり着くとしたら100階まで2574段。トレイルランに比べればはるかに楽な道のりだが――

「行くぞ葵!」
「待って!」

 葵は階段の床の、色の変わっている部分に足を伸ばした。
 すると壁から飛び出した何かが頭の高さをひゅんと通り抜けていった。

「やっぱり……」
「すげー! 忍者屋敷じゃねーか!」
「あっ、そ、そうだね! 面白いよね!」
「何が出てくんのか、全部試そうぜ!」
「ゆ、有瓜ちゃん……! どんな危険があるか分からないから、慎重に行こう」
「わかってるわかってる! 大丈夫だ。私を誰だと思ってる」
「有瓜ちゃん……!」
「それに、葵がいるからな。何が出て来ても負ける気がしねーぜ」

 その一言でどんな不安も吹き飛んでいくような心地がして、葵は力強くうなずいた。


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