Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



「――まずは近畿大会の1位突破、おめでとうございます」

 ゲストのネームタグを首から提げた記者がそう言って頭を下げるのに合わせて会釈程度に礼をする。
 目の前の長机の上には、本日のインタビューの簡単な原稿があった。当然、学校側でチェック済みの当たり障りのない問答が書き連ねられている。ここの返答は「強豪ぞろいのなか無事勝ち上がれたことを誇らしく思います」だ。
 昨日行われた近畿大会を思い浮かべながら、溜息をひとつ吐いて原稿を閉じる。
 そして獅子王大学付属高校2年、第11代目『蒼牙』のリーダー虎谷大河は淡々と言った。

「こんなものか――とがっかりしました。どのチームも初めから2位突破を目標に掲げていて、私たちを本気で潰しに来ようとしていなかった。本選ではもっと骨のあるチームと競い合えることを期待しています」

 大河の後ろでトレーナーの阪井龍子が天を仰ぐ。その隣で、理事長である三神御門が白い髭を揺らして呵々と笑い、息子であり三神ホールディングス社長の三神皇は柔和な笑顔を崩さずに見つめていた。記者は記者で、そう来なくてはとばかりに身を乗り出してくる。

「圧巻のステージだったと思います。他を寄せ付けないダンスパフォーマンスはもちろん、衣装、選曲、カリスマ性、どれを取っても歴代最強の看板に偽りなしでした」
「光栄です。ですが、改善すべきところも多く見つかりました。本選ではさらに磨き上がったステージを披露できることと思います」
「ファンの皆さんも楽しみにされていると思います。特に近畿大会で初めて披露された歌とダンスの融合についてはファンたちの間のみならず全国で大きな話題となりました。蒼牙としてもトリニティカップとしても大きなチャレンジと捉えておりますが、この構想は以前からあったのでしょうか」
「我々3人がクイーンの称号を戴いたのが昨年の8月。その時から新たな試みとして研鑽を積み重ねてきました。正直に言って、かなり苦戦しました。が、それだけに見ごたえのあるステージに仕上げられたかと思います」
「驚きです。苦戦と仰いましたが、どんなところに苦戦されたのでしょうか?」
「歌うことすべてです。感受性豊かに言葉に心を込めることはもちろん、最初は1曲を息切れしないで歌い上げることすら難しく、自身の未熟さを痛感しました。しかし、だからといってダンスの難度を下げるようなことはしたくないと思い、ひたすらにスタミナをつけるトレーニングに打ち込みました」
「なるほど、スタミナ……。たしかに振付をこなしながら歌うのは難しそうですね、などといった月並みな感想は、先日のステージを目の当たりにした方からは決して出てこないと思います。虎谷さんの歌唱パートですと、韻を踏みながらのブレイクダンス、鷹橋さんと鮫坂さんは目まぐるしいステップ直後の感情豊かなロングトーンのハモり。そして私も後で知って驚いたのですが、イヤホンマイクが常時オンになっていたのに呼吸音や邪魔なブレス音が一切聞こえてこなかったこと! 誰にも真似できないと思いました。そのすべてを包括してスタミナが大事だと仰る虎谷さんの言葉からは得も言われぬ重みと、確かな自信が伺えました」
「光栄です」

 淡白に答える大河に、肩透かしされたような心地で内心首をひねる記者。
 質問は当初の原稿から大きく外れていたが、もう少し感情ののった回答を引き出したいところだった。何度目かの阪井の咳払いが聞こえよがしに響いていたが理事長たちはまだもう少しご機嫌なようだ。ちらっと目があった皇が促すように微笑んだのも、その一言を言ってしまう原因になった。

「歌とダンスといえば、蒼牙よりも先に予選大会で披露したチームがありましたが――」

 言い終える前に、大きな咳払いがそれを遮った。驚いて見やれば、表情一変、不快感をあらわにした御門が記者に険しい目を向けていた。
 身が竦んで一気に血の気が引く。怒鳴られる、と身構えたとき、柔和な笑顔のままの皇が横から言った。

「虎谷さん。もし本選でそのチームと当たったらどうしますか」
「当然、最高のパフォーマンスに先も後もないことを示すだけです」
「ってゆーか、余裕でアタシらしか目に入んないっしょ」
「……最強」
「よろしい。本選も圧倒的なパフォーマンスを期待していますよ。――記者さん? 今のところ、しっかり記事にしてくださいね。さてトレーニングの時間が来てしまいました。インタビューはこれで終了とさせてください」
「え? あ――」

 皇に促されて記者が退室していく。まだ訊き足りない様子だった記者も皇に何事か耳打ちされるとすんなり部屋を出て行った。
 そして、蒼牙の堂々とした態度に留飲を下げた御門が、厳めしい顔で大河たちを労った。

「自信に満ちた良いインタビューじゃった。蒼牙は常に最強であるべし、である。忘れることなく鍛錬に打ち込むように」
「「「はい!」」」

 御門が満足した様子で部屋を後にすると、へにゃりと阪井と理央奈の肩から力が抜けた。

「やれやれだわ、ほんと」
「はー……終わったぁ」
「ご苦労だった、理央奈、アリサ。阪井先生もお疲れ様でした。三神理事長の仰った通り良いインタビューでした。本選に向けて身が引き締まる思いです」
「大河アンタねぇ! なんで! 原稿通りに! 答えないの!」
「定型文のような問答は求められていないと思いましたので」
「馬鹿じゃないの! 何のために七面倒くさい原稿作ったと思ってんのよ! 馬鹿じゃないの!」
「申し訳ありません。ですが、誠実な回答が出来たと思っています」
「そりゃ言いたいこと言って満足でしょうとも。きっと紙面になる前に私が修正することになんのよ!」
「まぁまぁ、無事終わったからいいでしょ? 阪井センセ」
「理央奈、アンタはいい加減緊張するクセを直しなさい! インタビューなんか何十回も経験してきたでしょ」
「あ、あははー。ごめんごめんってば」
「理央奈は最初に比べて随分とほぐれてきたな。アリサも寝ているように見えて、大事なところで発言してくれるようになった。2人とも進歩しているぞ」
「そもそも! アリサは! インタビュー中に寝ないの! 聞いてんのアリサ!」
「ん」
「返事は『はい』でしょ、全く……」

 阪井は3人の机の上からインタビュー原稿を回収し、代わりに別の資料を置いていく。大河たちがぱらぱらと確認している間に壁際の大型モニターにパソコンをつないで、動画を流す準備をした。

「折角モニターがあるんだし本選出場チームの動画研究からやるわよ。近畿大会以外の19チーム分、ちゃっちゃと流していくから確認していって」
「はい」

 北から順番に、北海道大会から沖縄大会まで。ステージ正面に据えられた定点カメラのみだが、指先の振りまで確認できる高画質な映像を、配られた資料と合わせながら大河は真面目な目つきでチェックしていく。気づいたことはその場で共有し、理央奈とアリサがそれに意見を戻す。その繰り返しだ。
 やがてモニターは関東大会準優勝の花護宮高校のパフォーマンスを映していた。
 ふーん、とつまらなさそうに理央奈が鼻を鳴らした。

「ま、そこそこって感じ?」
「ふむ」

 大河が理央奈にちらりと目線を送って、またモニターに戻す。

「詳しく言ってみてくれ」 「基本が出来てるのは当たり前として、振りの難度は中の中。動きはぴったり揃ってたけど個人の魅せ場がなくて退屈だし、何よりもっと難しい振りが出来そうなのにやってないのがもったいなすぎ」
「たしかに。だが優れているところもある。まず3人とも音がよく聴けていたし、しっかり踊り込まれていながら癖がなくて素直なステージに仕上がっている。それは全体の雰囲気にもよく合っていたと思う。――それと強いて挙げれば、歌声が綺麗だったな」
「まぁ歌はちょっと可愛かったかも? でもこの感じじゃ振付自体の技術点が足を引っ張って1回戦敗退がいいとこじゃん。春までダンス未経験だった2人もいるのに予選通過って、マジでって感じ? いきなり何万人の前で踊ってトラウマになんなきゃいいけど」
「一概にそう言いきれないからこその予選通過なのだろう。これはダンスの魅力的なところだと思うが、ダンス自体がスポーツ的な側面と芸術的な側面を併せ持った無限大の表現手段であるところが、花護宮高校のような評価の分かれるチームが生まれる理由なのだろうね」
「つまり、本選の出来次第じゃ上がってくるチームなわけ?」
「もちろんそれは分からない。だが彼女たちのダンスには見ている者を引き込む不思議な魅力があった。理央奈だって、食い入るように見ていたと思ったが?」
「や、それは……アタシらがあんまりやらないジャンルだったから気になっただけ。あんな可愛いのアタシにはム……向いてないっていうかキャラじゃないっていうか」
「リオナならいける」
「そ、そう? ……っていうかアリサはもっと意見出して!」
「めんどう」
「理央奈の言う通り、花護宮高校にはいくつも課題がある。しかしそれを乗り越えてくるならば、彼女たちは我々にない魅力を存分に発揮するだろう」

 見守っていた阪井が大きく頷いた。

「蒼牙としてのブランドイメージの話で悪いんだけど、歌とダンスの融合なんて新しいことをした手前、花護宮高校はコテンパンに叩き潰さないといけない相手。曲の構成やイメージが同系統じゃないせいもあって、明らかにアンタたちのパフォーマンスが勝ってると言えない状況が生まれているわ。つまり世間がこのトリニティカップで見たいと思ってるのは『結局どっちのパフォーマンスが凄いの?』ってこと。
 花護宮高校が伸びしろたっぷりの新参チームなのは見ての通り。でも今回のあんた達が圧勝しなきゃなんないのはここ。総合評価は勝って当然でも、歌の部分でちょっとでも負けたら全部終わりと思いなさい」

 はい! と大きな返事が揃った。
 トレーナーとして阪井は思う。ダンスはスポーツであり芸術である。エンターテイメントであり番狂わせのある勝負事でもある。
 勝ってほしいと願ってしまう。
 ――万に一つがないように鍛え上げた自負はあってもね、と胸の中で言い添えつつ。

「――わかったら練習! 巻いていくわよ」
「「「はい!」」」

***

 8月の終わりが近づく頃。
 今年最も熱い3日間がやってくる。
 全国各地、世界中の注目が集まるのは大阪のブルーファングスタジアム。
 会場で観覧できるのは幸運な5万人のみ。しかしライブ配信へのアクセスはその数倍以上に上る。

 開催される大会の名は、第12回トリニティカップ。
 高校ダンス界の登竜門にして最高峰の栄えある大会だ。

「わぁ~!」
「来たわね」
「うん! 香蓮、すみれちゃん! 来ちゃったんだよ!」

 大会の出場校は前日から現地入りするのが通例だ。
 下見を兼ねて会場までやってくるチームは少なくない。

「写真撮ろっ! 東先生も入ってください!」
「桜映、はしゃぎすぎよ……」
「俺は撮るほうでいいよ。みんなだけ入ってくれ」
「そんなのダメですってば! あ、すみませーん! シャッター押してもらってもいいですかー!」

 構わないわ、と通りがかった長髪の女の子が写真を撮ってくれた。
 その女の子の連れが「代わりに私たちもいいですか?」とスマホを差し出してきたので、快く桜映が請け負った。  黒髪の女の子を中心に、両側を双子らしい女の子が挟んで並ぶ。ブレないか心配だったので何枚か撮影して返すと、3人はお礼を言いながらキャリーバッグを転がして歩いて行った。

「それじゃあどこ行こっか! とりあえずたこ焼き? それともお好み焼き?」
「甘いものもいいよね。行きたいところ、地図に書いておいたんだ」
「まなぶ天才!」
「……まずはホテルに行くわ。話はそれから」

 楽しそうにはしゃぐ声が遠ざかっていった。
 桜映たちも、荷物を抱え直して出発することにした。
 入れ替わるように、小柄な女の子が元気いっぱいに走っていく。すぐ後ろを背の高い女の子が追いかけて、もう一人の眼鏡をかけたおさげ髪の女の子が随分後ろをついていっていた。

「ま、待ってお姉ちゃん~!」
「遅いよゆず! まいまいもー! ちゃんとお姉ちゃんについてきなさーい!」
「どこからあんな元気が湧いてくるんだか。……消費エネルギーが少なくて済むから有り余ってるのね、きっと」
「まーいーまーいー! 誰が小っちゃいって~?」
「やば」

 Uターンして突進してくる女の子を眼鏡の子がかわしていなす。背の高いボブカットの女の子は、ヘロヘロになりながら同じくUターンして戻ってくるとぷんすかと文句を言っていた。
 その3人の横を別の4人組が通り過ぎる。勝手知ったるといった風に先導するのは、人懐っこい笑顔の小柄な女の子。案内されてやってきたのはやけに風格のあるポニーテールの子と、その横にぴったり付き添うように歩く大人しそうな子だ。後ろには大荷物を背負って汗だくになっている青年もいる。

「はい到着~! じゃーん! ここがブルーファングスタジアム、通称BFスタジアムです。明日からここで合戦ですから、迷ったりはぐれたりしたらみんな自力でここまでたどり着いてね!」
「うおお、でっけー! なかなかじゃねーか!」
「うん! 気持ちが高まるね、有瓜ちゃん!」
「何人くらい入るんだ? ウン万人か? もっと? すげー! 本陣高校全員連れてくりゃ良かったな!」
「ちょっと、有瓜ちゃんってばちゃんと聞いてる? 有瓜ちゃんが一番はぐれがちなんだからね?」
「聞いてる聞いてる。まぁ何かあっても何とかなるだろ。わははは!」
「呑気に言ってまあ……誰が探し回ると思ってるんだっての」
「聞こえてるぞ愛田! グダグダ言ってねーでキビキビ運べ!」
「や、や、や――……ってられるかー! 何がトリニティカップだ! 俺は帰ってクーラーの効いた部屋で一人で夏季休暇を満喫するんだ――!」
「待ちやがれ!」

 鞄を放り投げて脱兎のごとく駆け出す青年をポニーテールの子が追う。10メートルも離れないうちに捕まえて、引きずって戻ってくるのを苦笑しながら見ていた。

「頑張ろうね、葵ちゃん」
「……お互い、有瓜ちゃんの足を引っ張らないようにしようね、桐栄ちゃん」
「精一杯やろうね! 有瓜ちゃんとあたしと、葵ちゃんの3人は無敵だからねっ」
「うん。――有瓜ちゃんと私と、桐栄ちゃんなら、心配ないよね」
「うん! 有瓜ちゃんとあたしと、あと葵ちゃんだったらね」
「そうだね……有瓜ちゃんと私。ついでに桐栄ちゃんもいるからね」
「あははは」
「うふふふ」
「何だ何だ? 何かおもしれーことでもあったか?」
「「ううんなんにも」」

 いやだー! と叫ぶ青年が不審そうな視線を集めたのは余談として――
 前乗りしてきた出場チームや待ちきれないファンたち、数えきれないほどの人々がBFスタジアムに集結する。
 8月の酷暑を吹き飛ばすほどの熱気と歓声が渦巻く一大エンターテイメント。
 トリニティカップが、始まろうとしていた。



ページの一番上へ



ストーリーのトップページへ戻る