鳴宮美柑。度梨杏高校・チーム『フルーツバスケット』所属。 1年生のときからダンス部に入部。1つ上の先輩たちとともにトリニティカップを目指した。 1年目は校内予選で敗退。2年目は地方大会出場まで行けた。 「私たちはこれで引退だけど――」 地方大会の会場から帰る途中、先輩たちは美柑に言った。 「次は君が後輩につなぐ番。いいチームを作ってね」 乗り換え駅の電車のホームが解散場所になった。 ここで先輩たちは別の電車に乗り換えて、それぞれの場所へと向かっていく。 美柑の地元へと向かう2両編成の各駅停車は、出発時刻はまだまだだと呑気にしていた。一方で先輩たちの電車はそれより少し先に発車するようだった。 また明日も学校で会えるとわかっていながら、手短な挨拶が、そのときとても名残惜しかった。 「はい!」 美柑は大きく返事をした。 でも一目で簡単にばれてしまうくらい胸の大部分を不安が占めていた。 先輩たちは、私たちもそうだったよねとちょっと懐かしそうに笑い合った。 そして、フレ、フレ、美柑! と大きく声を張った。 「美柑なら大丈夫!」 「頑張れがんばれ、美柑!」 そう言って3年生の先輩たちは、笑顔でチームを巣立っていった。 それは、1年と少し前、美柑たち『フルーツバスケット』が四国大会で敗退した日のこと。 苺香と柚葉が加わる前の、バトンを受け取ったばかりの美柑の思い出。 *** 1番手の『greenery』が洗練されたダンスを披露しているのを、美柑たちはモニターを通して観ていた。 3人がいるのは待機場所であるステージ手前の廊下だ。次は『フルーツバスケット』の出番なので『greenery』のステージが終わったらすぐに出られるよう、控室を出て準備していた。 いざ本番となると緊張も最高潮だ。だが緊張の質が昨日までと違った。内気な柚葉もそうだが、普段から物怖じしない苺香も明らかに表情が硬い。しきりに奥歯を噛むような顔を隠すようにしている。 校内選抜、地方予選、本選の1回戦――と何度も勝ち抜いてきたのだからそれなりにステージには慣れているはずで、実際に昨日の夜まではもっとリラックスしていた。それなのにこの様子な理由は、あれ以外に思い至らない。 先ほど披露された蒼牙のステージだ。 圧倒的な完成度だった。蒼牙のリーダーが最高のパフォーマンスと豪語していたのも大納得だった。 あんなものを披露されてしまったら、大方の人はステージに上がる度胸なんて消し飛んでしまうだろう。 その点『greenery』はさすがだった。バレエをベースにした振りは徹頭徹尾ブレもなく、活き活きと表現できている。そのダンスはスポーツというよりも芸術に寄っていて、技術力と表現力の高さで真正面から勝負する彼女たちを例えるならば、天変地異をものともせずに青々と茂る森の木々のようだ。 トリニティカップ常連校は伊達ではなかった。3年生と2年生でメンバーが構成されているのも、メンタルの強さの要因だろうか。 他チームに見入っている時間はない。自分たちのステージが刻一刻と近づいている。 美柑は2人に元気を出してもらおうと、あのね、と前置きをして言った。 「まいまいのこと、あたしは好きだな」 「何で急に?」 「まいまいのダンスはまいまいにしか踊れないし、まいまいの良さはまいまいにしかない。そーゆーところがあたしは良いと思う」 「具体性無さすぎじゃない?」 「ゆずだってそう」 「私?」 「ゆずがゆずで良かったなって、あたしは思う――そーゆーとこ、好きだよ」 「お姉ちゃん……?」 「ためて言ってもおんなじだから」 怪訝そうに苺香と柚葉が顔を寄せ合う。 「なにこれ。美柑ってばどうしたの?」 「知らない……緊張で変になっちゃったのかも」 「ちょっともう……もうすぐステージ始まるのにしっかりしてよ。大丈夫? すだち食べる?」 気遣ったはずが逆に気遣われてしまった。 納得いかないような心地がしたが、上手く伝わらなかったかと反省して言い直す。 「ゆずとまいまいをチームに誘ったあたしの目に狂いはなかったって、ずっとそう思ってる。この3人のチームワークはオンリーワンで、あたしたちにしかできないダンスを踊ることができる。『蒼牙』にだって全然負けてないと思う。ふたりと一緒だから、あたしはステージに上がるの全然怖くない!」 「お姉ちゃん?」 「もしゆずとまいまいが不安になったらあたしのことを見て。あたしがふたりを応援するから! フレー! フレー! 苺香! フレフレ柚葉! 頑張れがんばれ、ふたり! ――だから『蒼牙』のダンスなんか気にしてないで、あたしたちにできる全力のダンスを踊ろう!」 ね? とウインクする美柑を見下ろして、苺香と柚葉が瞳をしばたたかせた。 「え? 何で急に『蒼牙』?」 「え? だってさっきから何か暗いから」 「私は、ゆうべ読んでたミステリー小説の犯人が気になって推理してただけだけど」 「私は朝ご飯食べ過ぎちゃって……衣装のお腹のところがちょっときついかもって思ってただけ」 「『蒼牙』のダンス観て、ステージ出るの怖いなーとかダンスするのやだなーとか思ってたんじゃないの?」 「全く」 「私も」 「……じゃあ、まいまいが怖い顔してたのは夜更かししすぎてあくびを我慢してたからで、ゆずは今朝何回も注意したのにやっぱり食べすぎたと。そーゆーこと?」 「やば。バレてた?」 「でも、だってバイキングだったんだもん。仕方ないもん」 「そっかそっか。うんうん……」 美柑は衣装の上から、苺香と柚葉のお腹をぎゅうとつねった。 「あたしの心配返せ!」 「痛い痛い痛い! やめてってば!」 「もうお姉ちゃん! 子供みたいな怒り方しないで!」 「誰が子供か! あたしは小っちゃくなーい!!」 会場スタッフが呆れ半分、微笑ましさ半分で眺めていた。 もうすぐ出番です、と掛けられた声に応えて、美柑は衣装の帽子の位置を整えた。 「まったく、ふたりのお陰で緊張が吹っ飛んでった」 「お姉ちゃん、緊張してたの?」 「そりゃあね。トリニティカップだし。最後の大会だし」 「美柑……」 「でも――ほんとはもう十分満足してるんだよね。本選まで行く! っていうのがあたしの目標だったし」 苺香と柚葉の顔を順番に見上げて言う。 「だからここはもうボーナスステージ。精一杯楽しんじゃえってくらいの気持ちで、アドリブ入れまくるから覚悟しといてね」 「げげっ。勘弁してよ」 「もう、お姉ちゃん!」 「あははは。もちろんふたりのフォローもするから安心して! お姉ちゃんに任せなさーい!」 時間です、とスタッフが知らせてくれた。 もう2人とも暗い表情はしていない。美柑自身の震えも収まった。 全力を出し切れそうな気がした。 「よーし、行っくよ―!」 3人で眩しいスポットライトの下へと跳び出した。 *** 『greenery』のしなやかで美しいダンスから一転、コミカルでポップな音楽とともに『フルーツバスケット』が登場した。 3人ぴったりと揃った軽快な踊り出しが観客の目に小気味よく映る。 聞こえてくる可愛い音と裏腹にテンポの速い曲だ。振付の構成の中に大技はなく、良く言えば収まりのいい、悪く言えばこぢんまりとしたものばかりで迫力はない。しかし観客が目を奪われて離せないのは、果物をあしらったカフェスタイルな衣装と演出と振付に一貫したストーリーがあったからだ。 台詞のない寸劇を観ているようなステージだった。 書き割りの背景さえ見える気になる。 舞台はとあるフルーツパーラー。小さなお店は今日も大忙しで、3人は手慣れた様子で軽やかにステージのあちこちを巡る。センターの子が注文を受けて緑色の衣装の子へオーダー。山盛りのパフェにフルーツを載せて完成。渡す前につまみ食いを1つして、ターンしてステージ逆側へパスを放り投げると、柚子色の衣装の子も1つつまみ食いしてセンターに渡した。 ターンした後のしれっとした顔が観客の笑いを誘う。 センターの子が手元を見て首をひねる。振り返るとちょうど2人がフルーツを口に入れるところで、怒ったセンターの子が2人を追いかけまわすのを、BGMが面白おかしく演出していた。 「可愛い。仲良さそう」「楽しそう」「喋ってないのに何言ってるかわかる」 「ステップ細かいなぁ」「わくわくする」「この喫茶店行きたい」 テンポよく進む情景と、3人の活き活きとした表情が楽しい。 曲のサビにあたるところでは、ステージ中央に3人で並んでシンクロした振りで観客をもてなした。 『いらっしゃいませ、こちらへどうぞ。本日のオススメはバスケットいっぱいのフルーツ。とっても甘い果実をおひとついかが?』 はじける笑顔が瑞々しい。特にセンターの子の溌剌さが観ている人に元気を与えていた。 サビが終わり、一息ついた後もまだまだお客さんは途切れない。眠そうにあくびをしている暇なんてない。トラブルが起こったって、3人で力を合わせれば何のその。 透明なテーブルの間をくるくると踊り回って、ようやくパーラーの長い1日が終わる。 音楽がラストの数小節に向けてスローになる。 額の汗を拭って気を抜いたところでふとステージ下へ視線を向けると、残っていたお客さんと目が合って慌てて照れ笑い。気を取り直して3人でポーズすると、ピアノの余韻が消えるまで笑顔で手を振った。 1曲目が終わった。 熱狂的な喝采はなかったが、誰もがほっこりと心温まるステージだった。 続く2曲目は元気いっぱいのナンバーだ。 観ている人を元気づける、応援するようなフレッシュなダンスだった。 ここでもセンターの小柄な子の笑顔が眩しいくらいに輝いていた。ぴょんぴょんと飛び跳ねる様子が小動物のようで可愛い。 世界中に届けとばかりに握った手を何度も高く掲げていた。大きく口を開けて何か叫んでいる。マイクを着けていないため実際はほとんど誰にも聞こえなかったはずだが、フレーフレーとエールを叫んでいるのが観ている全員に伝わった。 「勇気もらった」「可愛い」「元気出た!」「私も応援しよ!」 最後まで笑顔いっぱいでお辞儀をして『フルーツバスケット』はステージを後にした。 *** 膝に手をついて、肩で息をしていた。 なんだか普段以上に好き放題踊っていたような気がする。流れる汗がぽたぽたと地面に落ちて、滲んで見えなくなった。 これ以上ないくらい楽しかった。 もう終わってもいいくらい、踊り切った気がした。 「びっくりした――お姉ちゃん、いきなり大声出すんだもん」 「覚悟はしてたけど、アドリブ入れすぎだから……私ちゃんと踊れてた?」 「私も心配……まいまいはもうちょっと笑顔が大きくても良かったよ」 「ありがと。笑顔はゆずもだから。あとジャンプ、私もゆずももっと高く跳べたと思う。次は美柑に負けないくらい高く跳ぼう」 「うん……ここで勝てたら次は決勝だもんね。頑張ろう」 「勝てたらだけどね。美柑はどう? 見ててどうだった?」 息切れしているふりをやめて、美柑は一度瞼をぎゅっと閉じた。 にっこりして顔を上げる。 「……じゃあ、1個だけ。笑顔についてはゆずの言う通り。それだけじゃなくて、まいまいはまだ振りを頭で考えてるでしょ? もっと音を聞けるようになったら身体が自然に動くようになって、もっとダンスが好きになるから、これからもとにかくどっぷり自己錬すること!」 「1個じゃなくない?」 「ゆずはもっとはっちゃけてダンスすること! せっかくおっきな身体なんだし、両手両足をもっとばーっとがーっと伸ばして踊ったほうが迫力あって気持ちも乗せやすくって良いことづくめ! 気持ちも全身も縮こまってないで、もっと普段から自分の気持ちをでっかく表現していくこと。これ宿題ね」 「わ、私そんなに大きくないから……!」 「あはは。頑張れ!」 念を押して、美柑は備え付けのモニターへと歩み寄った。 いまステージで披露されている『ステラ・エトワール』の様子が映っていた。点数発表を待っている『greenery』の3人も固唾を呑んでモニターを見つめていた。 一瞬首を傾げたあと、苺香と柚葉が隣にやってきた。3人でモニターを見つめる。 「――――あはは」 ――対戦相手じゃなかったらなぁ、と美柑は思った。 煌びやかで幻想的。『ステラ・エトワール』のステージを言い表すならそんな言葉だった。 曲は、電子ピアノの音が軽やかに跳ね回る、アップテンポで耳障りの良いものだった。主張しすぎず、それでいて耳に残る音楽。主役のダンスが引き立った。 3人でひとつの生き物かのように細部までシンクロした動作。それでいて振りは極限まで密度が高く統一感があり、自分だったらこうするのにという余地が全く生まれてこない。ミスが出来ないのは当然として、余計な考えを入れた瞬間にすべて台無しになりそうだと美柑には思えた。 この曲にはこのダンス以外にないと思わせられる完成度。 美しく、優雅。気品が感じられる所作は、強豪校である聖シュテルン女学院の得意とするところだ。 振りの完成度と相まってたちまち魅了されてしまう。 夢を見ているような気分だった。 3人は夜空の瞬きすら身にまとって――衣装に散りばめられた金色の飾りがライトの反射で瞬いて、ステージはさながら星屑舞うダンスホールだ。どこかのお姫様になった自分がセンターの子にエスコートされて、特等席でダンスを眺めている。そんな錯覚を覚えるくらいステージに見入っていた。 どうしようもなく泣きたくなった。 もう終わってもいいかななんて思っていたはずなのに。割と本気で、ダンスはもうやり切ったと思っていたのに。 こんなものを見せられたら自分だってやりたくなる。自分だってこんなダンスを踊りたくなる。 もっと踊りたい。勝って決勝でも踊りたい。もっともっと踊っていたい。卒業なんかしたくない。 なんで終わってしまうんだろう。 もっと苺香と柚葉と『フルーツバスケット』のチームで踊りたい。 (ああ、やだやだ) こんなわがまま、絶対に2人に知られるわけにはいかない。 モニターでは『ステラ・エトワール』の2曲目が始まっていた。1曲目同様に磨き上げられたダンスだ。 ここで自分のトリニティカップが終わったのがわかった。 途端に涙があふれた。 今だけはこっちを向いてくれるなと強く願いながら―― 美柑は、奥歯を噛みしめて、先輩の威厳を護ろうと努力した。 *** 「『greenery』――ビジュアル27点、演出26点――総合134点」 「『フルーツバスケット』――ビジュアル27点、演出29点――総合137点」 「『ステラ・エトワール』――ビジュアル30点、演出30点――総合149点」 点数が発表された。決勝に進むチームも同時に決まった。 ステージを下りて控室へ戻る廊下で、苺香と柚葉がめそめそと泣きだした。 「美柑ごめん……」 「優勝させてあげられなくてごめん……」 2人がそんなことを考えていたなんて思ってもみなかった。 美柑は少しだけ驚いて――そのあと、大きな声で笑い飛ばした。 「何言ってんの! 言ったでしょ、もともと本選に出るのが目標だったんだって。なのに1回戦を勝っちゃって2回戦進出? すごいよね! 胸張って商店街のみんなに報告できるってば!」 「でも、私たちは美柑に」 「お姉ちゃんに優勝トロフィーをプレゼントするんだって思って」 しゃくりあげながら途切れ途切れに言う2人を可愛く思いつつ、美柑は言葉を選んで言った。 「まいまい、夕べ小説読んで夜更かししてたのってウソでしょ。気が張って眠れなかったんだよね」 手の甲で涙をぬぐいながら、こくんと苺香が頷く。 「ゆずも緊張すると食べ過ぎる癖、気を付けてね。身体が重くなるとパフォーマンスが落ちるよ」 「ごめん……」 「いいのいいの。――私はここで引退だけど、今度はふたりが『フルーツバスケット』を後輩に繋ぐ番。いいチームを作って、次は決勝まで行くところをお姉ちゃんに見せてね」 2人が頷く。 美柑は少し先まで歩いて、笑顔で振り返った。足を開いて身体を反らす。 「フレー、フレー! 苺香!」 会場スタッフの注目が集まるくらいの大声が廊下に響いた。 「フレ、フレ、柚葉! フレ、フレ、フルバ! 頑張れがんばれ! ふたり!」 「――フレ、フレ、美柑」 「がんばれがんばれ、お姉ちゃん」 「もー! そんなに歯を食いしばってちゃダメ。応援はとびっきりの笑顔で、ね!」 「ムリ」 「ひどすぎお姉ちゃん……」 「あはは! そんなんじゃ安心して卒業できないってば!」 これは嘘だった。苺香と柚葉の2人だったら大丈夫だ。来年が楽しみだった。 2人はどこまで行けるだろう。そしてどんな風に後輩に繋いでいくのだろう。 まだ見ぬ未来にまでエールが響くよう、美柑は笑顔で声を張った。 *** 決勝戦進出を決めた惺麗たちが控室に戻るのと反対に―― 入れ替わりで、敗者復活戦に向かうチームがステージへと向かっていく。 畏怖と尊敬と敵愾心。それらの入り混じった視線を向けられながら、廊下の中央を『ステラ・エトワール』の3人は涼しげな様子で歩く。 曲がり角を曲がったとき、『ブーケ』の3人と鉢合わせした。 桜映を見て、惺麗が不敵に笑う。 惺麗を見て、桜映も意気込んで笑った。 それで十分だった。 ステージへ向かって『ブーケ』が進んでいく。 敗者復活戦がいま始まる。
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