桜映が咲也と中庭で出会った同日の放課後、香蓮は自分のクラスである、1年2組の教室にいた。 香蓮はこの日、クラスの日直であり、休憩時間や放課後も桜映の勧誘の手伝いをすることができなかった。 「さえちー、だいじょぶかなぁ……」 日誌を書くペンを止め、香蓮が呟く。 意図せぬまま口に出たその呟きは、同じく日直を務めていたもう1人の生徒の耳にも届いていた。 「芳野さん?何か言った?」 「え?う、ううん。なんでもないよ。ひとり言だから気にしないで」 「そう?なんだか深刻そうな様子だったけれど」 「心配してくれてありがとう。でも、ホントにだいじょぶだよ。ちょっと疲れちゃっただけだから」 「たしかに。日直ってこんなに忙しいものだったかしら」 「ね~。休み時間のたびに先生から頼まれごとだったもんね」 「お陰で放課後になるまで、他のことには全く手をつけられなかったわ。それで、そっちの状況はどう?」 「うん。もうすぐ終わるよ。ごめんね水川さん。待たせちゃって」 もう1人の日直――水川すみれは、眼鏡を押さえながら答えた。 「いいのよ。私もさっき終ったばかりだし。……ところで芳野さん、このあとってなにか用事が入ってたりする?もし良ければ一緒に帰らない?」 「ほえ?」 つい間の抜けた声が出てしまったのは意外だったからだ。入学式からまだ数日しか経っていないこともあり、香蓮とすみれがまともに会話をしたのはこの日がはじめてのことである。その会話も、日直の業務に関する事がほとんどで世間話なんて全くしていなかった。そんな状況ですみれから一緒に帰ろうと誘われたのが意外で、香蓮はしばしの間、呆けてしまった。 「ご、ごめんなさい。急にこんなこと言われても困るわよね。なんでもないから、今のは忘れてちょうだい」 香蓮が改めてすみれを見ると、耳が赤くなっていた。緊張しながらも誘ってくれたのだろう。その事を香蓮はとても嬉しく感じた。 「ううん。そんな事ないよ。誘ってくれてありがとう。ちょっと待っててもらっていいかな?」 すみれにそう告げると、香蓮は桜映に連絡しようと電話を取り出した。昨日、桜映は不要だと言っていたが、香蓮は桜映の勧誘を手伝うつもりでいた。けれども、今日はもう放課後になっており、現在学校にいるのは部活に入っている生徒がほとんどだろう。一先ず、桜映が学校にいるのかだけでも確認しようと、香蓮が電話を掛けようとすると、狙ったかのようなタイミングで桜映からメッセージが届いた。 『今日は遅くなりそうだから、香蓮は先に帰ってて!また後で電話するね!』 メッセージを読んだ香蓮はすみれに向き合いながら口を開いた。 「お待たせー。それじゃ水川さん、一緒に帰ろ?すぐ支度しちゃうね」 返答を聞いたすみれがホッと息を吐いているのを背中に、香蓮は帰り支度をしながら桜映にメールの返信を打つ。 『ムチャしちゃダメだよ。電話待ってるね』
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