Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 毎日がなんとなく過ぎていくなんて我慢できない。
 スポーツは楽しい。全力で踊りながら、面白おかしく生きていたい。
 高校に上がって仲良くなった友達とはもうすぐ二年目で、これからも一緒に楽しく踊って生きる。
 そのはずだったのに。

「はいはい、始業式の前にみんな座って。今日からみんなの仲間になる転入生を紹介します」

 なまじ違う高校に一年も通ったあとだと空気にも違和感を覚えてしまう。雰囲気が違うってことでもあるし、鼻をくすぐる校舎の香りが違うってことでもある。
 前の高校はコンクリート造りの校舎だったが、この本陣高校は木造、というよりも城そのものだった。何に使うのか、廊下には武者窓と石落としが設えられている。風が良く通るので夏は気持ちいいだろうけれど。
 ひょっとしたらとんでもないところに来てしまったかもしれない。
 そんな思いはおくびにも出さず、人懐っこい笑顔を準備した。間もなく、開いたドアから先生がこちらを招いた。

「さあ一期さん、入って」
「はーい」

 人の輪に入るのは得意な方だ。第一印象は肝心で、そのイメージを維持するのはもっと大事。
 自然体を意識してするりと内側へ入り込む。

「大阪から来ました、一期桐栄です。みんな、仲良くしてね!」

***

 天守閣から落ちたので、念のため検査入院をすることになった。

「わはははは! そんなやつ聞いたことねー! わはははは!」
「笑い事じゃないよ有瓜ちゃん……!」

 個室のベッドに横たわっても笑いの収まらない有瓜である。
 付添いの教師や生徒会の面々は退散して、後にはこの春から晴れて本陣高校の一年生になった正宗葵だけが、涙目で有瓜の手を握っていた。(仮)が取れて正式に生徒会書記になっていた。

「有瓜ちゃんは、もう屋根に上るの禁止……!」
「なんでだよ。無事だったじゃんかよ」
「なんででもっ」
「わかったわかった」

 有瓜の布団に突っ伏して泣きはじめる葵。すでに半分興味なさげに生返事で応える有瓜だった。

「ところで葵、今日は変わったことはなかったか」

 葵が艶っぽく目じりを拭いつつ報告する。

「うん、今日は報告上がってきてないよ。この間の金崎高校と小谷高校との合戦のことが派手に広まったから、当分は他の学校も仕掛けてこないと思う」
「こないだの……ああ、あの宇宙戦艦に乗ったやつな! なんだっけ、VR宇宙大戦? すげー面白かったぜ!」
「初めてのゲームでも、やっぱり有瓜ちゃんはすごかったね! あの状況から逆転はあり得ないってネットでも盛り上がってたよ。さすが有瓜ちゃん」
「わはは。よせやい」
「今はもう慣れたけど……グラウンドや体育館の使用権を取り合って、学校同士が争わなきゃいけないなんて大変だよね」
「しょーがねーだろ、ずっと前からの決まり事なんだから。部活動強化振興制度、その一、各校は独自のグラウンドおよび校外施設を有してはいけない。その二、公営のグラウンドおよび練習施設の使用権は、スポーツマンシップに則った各校からの代表者決戦にて、健全に奪い争うこと」

 それが有瓜たちが言うところの『合戦』である。

「学校同士を競争させてレベルを高め合うのは、スポーツの理念に適ってるから問題ない」
「うん、有瓜ちゃんの言うとおり」

 そんなことはないとしても——この地域をまとめて統括する一族なんかがいれば話は別だ。

「負けたら部活動の練習どころか、体育の授業もできなくなるんじゃ、みんないい加減にはできないよね」
「お陰でこの辺りはスポーツが盛ん。有名選手の出身校だらけ。爺様たちの目論見通りか」
「有瓜ちゃんの親戚筋が、この辺り一帯の理事や校長を務めてるんだよね」
「まぁな」
「学校のランクがそのまま本家での上下関係に影響するから必死なんだって、有瓜ちゃん言ってたね」
「ま、それは親父の顔がさらにでかくなるかってことだけで、私は本陣高校の生徒全員の自由を守れれば、それでいい」
「有瓜ちゃんは本当に部下思いだね」
「よせやい」

 もし春休み中に有瓜たちが宇宙の藻屑になっていれば、今ごろ野球部もサッカー部も水泳部も、練習場所を求めて右往左往していたはずだ。そんなのは有瓜は許せない。
 上に立つものが部下を守るのは当然。
 それが長谷部有瓜の信念だ。
 ——ふわ、とあくびが出て、有瓜は肩まで布団にもぐりこんだ。

「ちょっと寝るわ。暗くなる前に葵も帰って休め」
「うん、わかった。おやすみ有瓜ちゃん」

 窓の外はもう黄昏時だ。
 淡くほのかな水色が、東の空からやってきた夜に徐々に染められていく。
 今日一日を思い出す。もう少しさかのぼって、この春休みを思い出す。三学期、二学期——
 駆け抜けるような、充実した日々だった。楽しい毎日だったけれど。
 それはいつかどこかで経験したことと似通っていて。

  「……つまんねー……」

 自然と独り言が漏れた。
 すると、思いがけず葵の声で返事が返ってきた。

「わ、私は有瓜ちゃんといて楽しいよ」
「まだいたのか——」

 首を向けると葵が床で寝転んでいる。
 持参した寝袋にくるまって、ミノムシのように顔だけ出して微笑んでいた。

「護衛はまかせて。ゆっくりおやすみなさい有瓜ちゃん」
「帰れ!」

 葵を蹴り出して、有瓜は布団をかぶり直す。しぶしぶと葵が去っていく気配が伝わってきた。
 やれやれと思っていたら、今度は別の足音が近づいてくる。
 聞きなれない足音だ。誰だ?
 四度のノックののち、ドアが開く。
 そこには見知らぬ生徒が一人、愛想のいい笑顔を向けてきていた。

「こんばんわ! あたし、一期桐栄! 生徒会長のお見舞いに来ました!」

***

 ドアの向こうでは、生徒会長がベッドの上で半身を起こしていた。
 さっと見ても傷らしい傷は見当たらない。やっぱりただものじゃない。

(やっぱり面白い! 友達になりたい!)

 桐栄はとびっきりの笑顔で長谷部有瓜と向き合う。

「おー? 誰だっけ。うちの制服着てるけど、見ない顔だな?」
「あたし今日から転校してきたんです。長谷部会長と同じ二年ですよ」
「なんだタメじゃん。有瓜でいいぞ」
「いいの? じゃあ有瓜ちゃん! これつまらない物だけどお見舞いのどら焼き。よかったら食べて」
「マジか。いいっていいってそんなの。いやぁ悪いな」

 手渡しすると、有瓜はそれをテーブルの端に置いた。
 いま食べる気はないらしい。残念、美味しいのになぁ。
 有瓜は桐栄の目を見た。

「それで、私に何か用か?」

 意外に端正な顔つきにドキッとする。しかしそれくらいで気圧される桐栄ではない。

「やーやー。本当にただのご挨拶だよ。もしくは親睦会かな」
「親睦会?」
「そう、病室で一人じゃつまんないと思って——じゃーん! ゲーム持ってきたよ!」

 鞄から一枚の板を取り出して、有瓜の目の前に開いた。じゃらっと重たげな巾着袋も二つ。
 白と黒の碁石。そして碁盤である。

「囲碁、やろっ!」
「えー。やだ。爺むさい」
「徳川家康も真田昌幸も、名だたる武将ってばみんな囲碁をやってたんだって」
「なんだと?」
「それってホントかなぁ? でもきっと有瓜ちゃんも強いんじゃないかと思って。ね? 一局どうかな」
「しかたねーなー。一回だけだぞ」
「やった!」

 そそくさと椅子を用意する。
 外見にそぐわず、桐栄はかなり囲碁を嗜んでいる。
 有瓜がどれだけ囲碁を打つかわからないが、桐栄にとってちょうど良い具合で勝ったり負けたりなどはお手の物。一気に距離を踏み込むチャンスだ。

「お前から仕掛けてきたんだから、先攻は私な!」
「ずるい。でもいいよ?」
「へへへ」

 両者とも、ぺろりと舌なめずり。

(さあて、最初は小手調べ——)

 碁石を手に取った瞬間、すっ——と有瓜の周りが張り詰めた。
 最初に、白が一目。
 後手の桐栄がその隣に黒の石を置いた。
 定石をまるで無視した一手だ。対する有瓜の力量がこれで知れる。
 有瓜は——微塵もためらうことなく石を取った。
 桐栄の置いた石のさらに隣に白を置いて——

「…………」

 間に挟んだ黒を取って、代わりに同じ場所に白をもう一つ置いた。

「まず一点」
「いやいやいやいや。オセロじゃないんだから」
「え、違うの?」
「違うよ。有瓜ちゃん囲碁できないの?」
「できないとは言ってない」

 腕組みをしてふんぞり返る有瓜。
 内心で呆れながら、桐栄ははにかむように苦笑して見せた。

「じゃ、じゃあ五目並べにしよっか。ルールわかる?」
「バカにすんな! 七目だって十目だって知ってるぜ」
「じゃ、次も有瓜ちゃんからでいいよ」
「へへへ、それじゃ遠慮なく」

(軽く相手して仲良くなったところでまた今度、ってな感じで……)

 ニコニコと五目並べを遊びながら、そのときの桐栄は思っていた。

(生徒会長、楽勝じゃん!)

***

 三十戦目を過ぎたあたりから数えていない。
 ふと見上げると窓の外が白んでいる。あれ、ここに来たの夕方じゃなかったっけ?
 目の前には碁盤があって有瓜がいた。お見舞いのどら焼きにかじりつきながら、ものすごい形相で次の手を探している。
 途中から桐栄も手加減をしていられなくなった。
 五目並べの必勝法なんてそんなに多くないはずなのに、僅差で負けるのはいつも桐栄だったからだ。
 とにかく糖分が足りていない。自分の分のどら焼きを頬張り、湯呑みを傾ける。

「……有瓜ちゃん、お茶のおかわりいる?」
「くれ!」

 壁際にあるポットから急須にお湯を注いで戻る。

「……有瓜ちゃん、石いじった?」
「証拠はあるのか」
「ないけど……そことそこがさっきと違うような」
「見間違いだ見間違い。ほら桐栄の番だぞほら早く」
「…………」

 二つの湯飲みにお茶を淹れて、急須を戻して帰ってきた。
 盤面が有瓜の白一色になっていた。

「はい反則! ぜったい反則!」
「ばか言え、証拠出せ証拠。あーこれ私の勝ちだな。だな?」
「…………」

 呆れかえって桐栄は天を仰いだ。

「——けました」
「ん?」
「負けたーって言ったの! あーもう! 朝じゃん! 登校二日目から寝てないじゃん!」

 ぴょんと窓際までジャンプして窓を開ける。まだ肌寒い朝の空気が、桐栄の眠気を払っていった。

  「うおー! 勝ったー!」

 有瓜は子供のようにはしゃいでいる。ズルしてたのにと思うとひどく大人げない。
 頭の奥に心地良い痺れがあった。
 ただの五目並べにこんなに没頭したのは生まれて初めてかもしれない。
 桐栄が振り返ると、有瓜も桐栄を見た。
 あくび交じりに訊いてくる。

「で、私に会いに来た本当の目的ってなんだったんだ」
「えっへっへ。言わないつもりだったけど、もういいや」

 はにかみながら苦笑して桐栄は続けた。

「有瓜ちゃんの動きを見て、この人だって思ったの。あたしと、ダンスで全国制覇しない? 一緒にトリニティカップを目指そうよ!」
「ダンスぅ……?」

 桐栄が知るところではないが、有瓜は小学校の運動会でやったフォークダンスを思い出していた。
 決められた動きを、音楽に合わせてみんなで揃える練習をした。
 幼心に、自由にできないなんてすげーつまんねーと思ったものだ。

「やだ」
「なんで?」
「なんつーか苦手なんだよな、ダンスって」
「そりゃ残念」

 碁盤とどら焼きの空き箱を手早く荷物に詰めて、桐栄はコートを羽織った。

「気が向いたら言ってね、有瓜ちゃん」
「おう、そのうちな」

 病室を後にして、清々しい気持ちで帰宅した。

「いやあ参った。完敗だ。——さあて、ここからどうやって口説き落とそうかなっと」

 ぺろりと舌なめずりを一つ。
 そして桐栄は、コートのポケットに入れていたボイスレコーダーの録音をオフにして、くふふと笑った。

***

「ゆゆゆゆうりちゃん!?」

 病室に、葵の大声が響き渡った。

「昨日誰かここに泊まったの? 誰と一緒だったの? ねえ有瓜ちゃん起きてー!」

 揺さぶられても心地よさそうに眠ったまま、有瓜は放課後まで起きなかった。


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