Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 翌日の試合はトレイルラン。
 木々の生い茂るハイキングコースを有瓜と後奈良が並んで駆け抜けていく。

「のう長谷部」
「なんだ? 喋ってると舌噛むぞ」
「お主に折り入って頼みがあるんじゃが」

 遅れ気味で辛うじてついていっている葵にも、それは聞こえた。さらに後ろにいる石上には届かない距離だろうか。

「儂らはあの公園を取り返したい」
「そっちが勝ったら引き渡す予定の公園な」
「何としてもじゃ」
「そうか」
「負けてくれんか」
「馬鹿言え」
「このとおりじゃ」
「このとおりじゃって、両手合わせて拝んでるだけじゃねーか。もっと頼み方あるだろ」
「このとーりじゃ☆」
「可愛く言えって言ってんじゃねー! ウインクすんな、首傾げんな!」
「ダメかの?」
「上目づかいしようとすんな! あご引いても身長差あるだろ!」
「あの公園は儂らの思い出の場所なんじゃ☆」
「話が入ってこねーから喋り方もどせ!」

 後ろからうんざりと見つめながら、つまづいて顔から転べばいいのにと葵は暗い念を送った。
 これも交渉術の一つだったのか、有瓜は後奈良のペースに乗せられていた。

「昨日帰って調べさせたが、どこにでもありそうな公園だったぞ。なんでそんなにまでして取り返したいんだ?」
「思い出深い場所だからと言うとるじゃろう」
「どんな思い出だよ? 聞かせてみろ」
「儂と三歳ともう一人、年端も行かぬ頃からよく連れ立って遊んだ公園じゃ」
「――――ん? それだけか?」
「そうじゃ」

 期待外れだったようで、有瓜はつまらなさそうに眉根を寄せた。

「やっぱわかんねー。それでここまで本気になれるもんか?」
「がはははは、思い出はいいぞ。お主にはちと難しいかもしれんが――幼少のみぎりの約束を、後生大事に抱えとるやつがおってもええじゃろ」

 そこで後奈良は、葵を振り返った。
 いや違った。葵のさらに後ろの、石上のことを見やったのだった。

「ふーん。昔の約束ね」
「そういうわけじゃから譲ってくれるな?」
「嫌に決まってんだろ」
「儂いいこと言っとったじゃろ? 情にほだされたじゃろ?」
「1ミリも動かねー」
「このとーりじゃ☆」
「だからウインクやめろ! ぺろっと舌出してんじゃねー! だったら勝って奪い取ればいいだろ!」
「それができたらこんな手は打っとらんわ」

 後奈良の足がほんの少し遅れた。
 そう見えた次の瞬間には、有瓜は後奈良を追い抜いていた。

「今回は勝ちを譲ってやるとしよう。今回だけじゃがの」

 後奈良へと不敵な笑顔を向けて。
 有瓜は全員を置き去りにするように、猛然とコースを駆け抜けていった。

***

 夕暮れの公園に風が流れる。
 春の気配も、柔らかなオレンジ色の夕焼けの下ではどこか密やかに、緊張に強張る石上の背中を後押ししているようだ。
 公園には石上だけが立ち尽くしていたが、しばらくして一人の女生徒がやってきた。
 石上の表情がほんの少しだけ優しげに崩れた。

 トレイルランで本陣高校が勝利したあと有瓜は、報酬の施設を要求する代わりに、負けた石山本願寺附属高校と比叡山学園の生徒に麓の公園を清掃させたのだった。
 管理者である本陣高校の生徒会も一緒に半日かけて手入れしたお陰で、荒れ放題だった公園は見違えるようによみがえった。
 そして封鎖していた入口を開放して、自由に入れるようになったのが今日。
 日中は、早速数組の親子が立ち寄ってしばしの憩いを得ていたようだ。とりわけ特別な存在になることはなくても、ふとしたときに誰かの癒しになるといい。そんな役目を思い出したかのようだった。
 石上と女生徒が話している声が途切れ途切れに聞こえてくる。内容はどうやら土日の合戦のことと昔した約束の話のようだ。後奈良の言っていたもう一人の幼なじみがこの女生徒なのだろう。
 世間話、ではなさそうだった。石上の声はほのかに熱を帯びて緊張していた。

(昔の約束――)

 葵が気を留めたのはそこだった。大切な思い出なら葵にもある。人生を変えてしまうほどの、生き方を決めてしまうほどの思い出があることは、葵にも共感できた。

(いやー青春だよねえ有瓜ちゃん。これぜったい告白だよね)
(告白ぅ? 合戦負けてすみませんってか?)
(あっ、確かにそう言ってるよ、有瓜ちゃん。唇の動きだと、負けてすまないって言ってたよ)
(なにそれ、正宗さんってスパイなの? そんなんじゃなくてもっと青春っぽいやつでしょこれ)
(あーあれな、青春な。青春だとどうなるんだ? こっからじゃよく見えねー)
(ゆ、有瓜ちゃん……もう少し頭を下げないと見つかるよ)

 生垣の陰から、桐栄と有瓜と葵が団子になってもぞもぞと覗き込んでいた。
 そのすぐ隣からは後奈良が、巨体を縮めて同じように中を覗いていた。
 見せたいものがあるといって葵たちを呼び出したのだった。

(見せたいものって……これですか?)
(もうちょっと待つんじゃ)
(有瓜ちゃんがいいなら、いいですけど……)

 有瓜は桐栄と冗談を言い合っている。退屈そうにはしていないが。

(……どうして一期先輩までついてきたんですか)
(それはまあ、有瓜ちゃんに誘われて?)
(別にいいだろ。桐栄だって関係者じゃん)
(そういうワケで)
(……有瓜ちゃんがいいなら……)

 釈然としない葵を余所に桐栄がわーおと(小声で)歓声を上げる。石上が女生徒の手を取ったところだった。すわ告白か、という緊張が石上の表情から読み取れた。

(相手の顔が見えないのがもったいないなぁ。どんな様子なんだろ)
(それは顔見えなくても分かるぞ)
(どんな感じなの?)
(めちゃくちゃ怒ってる)
(えっ?)

 葵と桐栄が有瓜を見やったちょうどそのとき、石上と女生徒に変化があった。
 石上が声に力を込めて何かを言ったときだった。
 女生徒が、握った拳を思いきり石上へ突き出した。

「セえいッ!!」

 腰溜めの正拳突きだった。
 熟達さを窺わせる、全くブレのない正拳突きだった。
 鳩尾を強打された石上がもんどりうって倒れ込む。
 あ然とする葵たちに背を向けたまま、女生徒は激しく地団駄を踏んだ。

「きぃー悔しい! 何が次こそは、よ! 完敗も完敗、大惨敗じゃない! 競って競って競って競って同着だけどできそこないの審判のせいで判定負け、とかならまだしもこんな負け方して告白なんてするんじゃないわよ! きぃーー! 悔しいいぃ! 全部あの女のせいだわ!」

 ローファーで何度も地面を踏みつけたあと、女生徒は握った拳を空に向かって突き出した。

「おぼえてなさいよ、長谷部有瓜――!」

 ふん! と鼻息荒く立ち去って行く女生徒を見送って我に返る葵たちと、やれやれと立ち上がる後奈良。

「だからやめとけと言うたろうに、石頭が……。さて、これがお主らを呼んだ理由じゃ」
「理由じゃって。全然わからん。お前は何をしたかったんだよ」
「幼なじみを紹介しようと思うての」
「紹介される前に帰ってったんだが!」
「まあまあ落ち着け、今はこれでいいんじゃ」

 そう言って後奈良は女生徒の立ち去って行った方向を見やった。

「あれが儂らの愛すべき幼なじみ、本能寺豪華。我侭と負けず嫌いの塊、一度火が点けば燃やし尽くすまで鎮火せん、人呼んで『燃え盛る本能寺』じゃ」
「マンガみたいなやつだな」
「ゆ、有瓜ちゃんの方がすごいと思うけど……」
「どういう意味だ?」
「あはは、有瓜ちゃんは主人公かヒーロータイプだよね。良い意味で」
「そうかそうか! わははは、もしかしてそうかと思ってたぜ」
「それならあやつは悪の首魁になるかの。いつか戦うときのため、憶えておくと良いぞ」
「問題ねーな。誰が来ようと私は負けねー!」

 後奈良は石上の側まで歩いていくと、動けない幼なじみをどっこいせと肩に担ぎ上げた。

「それまで本陣高校があればの話じゃがの」
「ん? どういうことだ?」
「長谷部有瓜包囲網」

 それは合戦に勝てば教えると言っていた言葉だった。

「お主らは覇を唱えすぎた。主要な運動施設はほぼすべて本陣高校の所有になり、本来の部活動強化振興制度の理念と現状が離れすぎておる。となれば動くのはどこかわかるじゃろ」
「どこだ?」
「県議会とか?」
「警察……?」
「もっと権力を持ったところじゃ。すなわち――」

 後奈良が告げた組織の名前に――
 葵、有瓜、桐栄は揃って大声を上げた。

「「「教育委員会ぃ――!?」」」


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