トレーニングウェアに着替えた面々は、すみれと咲也の立てた練習メニューに取り組んでいた。 もちろん星司や惺麗たちにも了解を得た内容だ。一日目はブーケ式のメニューを行い、二日目はステラ・エトワール式のメニューをするスケジュールになっていた。 チーム混合でストレッチを行い、部屋の壁沿いをランニングして身体を温める。基礎体力はやはり惺麗たちが長じていた。 一通りの基礎練習をこなしたあとで、練習試合で披露したダンスを踊って見せる。 初日はブーケからだ。桜映たちが踊り、惺麗たちがそれに指摘を入れていく。細かな改善点から根本的な課題まで、数えきれないほどの改善点が洗い出された。 「可憐さを主軸に据えたダンスでしょうけれど、それゆえにわたくしには窮屈な型にはめようとしているように見えますわ」 「型?」 「そう! 思うとおりに何でも取り入れればいいのですわ! ダンスは自由ですのよ!」 「ダンスは自由――か。惺麗ちゃん、それってすっごくいい言葉だね!」 「オーッホッホッホ! 何でもわたくしに訊いていらっしゃい」 自由、自由……と考え込み始める桜映をよそに、立ち上がった惺麗がアドリブで踊り始める。 「わたくしならこう踊りますわ!」 「そんなの曲調に合ってないよ。可愛さを意識して、もっと柔らかく見せてさ」 「本筋になる動きが固すぎですわ。ちょっと、この振付を考えたのはどなたかしら?」 「私だけど……」 「かたいですわ水川すみれ! ダンスはもっと自由ですのよ!」 「それさっきも聞いたよ。気に入ったの? ――でもその通りだよ水川すみれ。君のダンスはバレエから抜け出せてない。基礎はそれでいいとしても、曲調が可愛らしい分、振付もそれに合わせないと」 「そうですわ水川すみれ!」 「フルネームで呼ばないでってば!」 惺麗と晶とすみれで、振付をめぐる戦いが始まった。その傍らで千彗子が香蓮の肩をつつく。 「芳野さん、ちょっといい? ストレッチのとき気付いたんだけれど、芳野さんってとっても身体が柔らかいのね」 「えっ、そうですか? かれん、運動へたっぴだし、取り柄らしい取り柄なんてないですよ」 「そんなことないわ。ねえ、どれだけ柔らかいか見せてもらえないかしら。開脚はできる?」 「うーんと、こうですか?」 横に足を伸ばしたままぺたんと床に着く。綺麗な一八〇度開脚だ。 千彗子に言われるまま、続いて縦の開脚、壁面開脚、Y字バランス、垂直脚上げをしてバランス保持まで危なげなくこなしたところで、いつのまにか注目を集めていることに気付く。 きょとんとする香蓮に、桜映が飛び跳ねて駆け寄った。 「すごいすごい! 香蓮ってこんなに柔らかかったんだ!」 「えへへ、かれんすごい?」 「ええ、すごいわ芳野さん! 柔軟さにバランス感覚、どっちもダンスにはとっても重要よ」 「これを振付に組み込まない手はないね、水川すみれ」 「だからなんでフルネームなの!」 「ふん! それくらいわたくしだって出来ますわ!」 「惺麗ちゃんすごい! あたしもやる!」 「桜映は調子に乗らないの」 そんな桜映たちの様子を、眩しそうに星司が見つめていた。 咲也はノートに書きつけていた手を止めて星司を見やる。 「敗けたチームと勝ったチームが、これほど率直にアドバイスしあえるとは」 この賑やかさに掻き消えるなら構わないといったように、まるで独り言のように星司は言った。 「東、なんだか大学最後の夏を思い出さないか」 「ああ」 「俺たちのチームは終わってしまったが――こんな風にもう一歩ダンスに正直だったら、どうだっただろうな」 「――さあ、どうかな」 わかっていた返事だったのか星司は薄く苦笑した。 「ところで、聖シュテルン女学院のダンスのカリキュラムに興味はあるか。一応年間の授業計画くらいなら持ってきているぞ」 「ほんとか、見せてくれ。あと関東大会に来るだろうチームの資料も持ってきてないか? できればデータで持って帰りたい」 「無茶を言ってくれる。トップシークレットだぞ? ――貸しにするなら見せてやらないこともないが」 「助かるよ星司」 星司は満足そうにうなずいて、部屋の荷物置き場へと向かっていった。 「ハァーッハッハッハ! 惺麗くん、パソコンの電源を借りるぞッ!」 さて――と視線を戻す咲也。 ブーケとステラ・エトワールは活発に意見を交わしている。悔しさの涙も勝者の気兼ねもその間にはなく、ダンスへの情熱だけが煌めいて燃えていた。 咲也にも星司にも、桜映たちはあまりに眩しくて美しかった。 そんな生徒たちにとっていいトレーナーとは何だろうと、以前星司が言った言葉が蘇って、再度咲也に問いかけていた。 *** ――合宿番長の譲れないこだわり。 その一、夕食といえばみんなでカレー。 その二、みんなでお風呂。その三、大広間でみんなで布団を敷いて横になる。 そしてその四のまくら投げまで終わったところで、すみれが桜映にストップをかけた。 「……ねえ桜映、これあといくつあるの?」 「まだまだあるよ!」 「もう遅いし、九条院さんのおうちの方にもご迷惑よ。今日はもう休みましょう?」 「でもすみれちゃん、次はダンスに関係のあることだよ!」 「えっ? ――桜映がちゃんと考えてるなんて驚いたわ。じゃあそれをやって最後にしましょうか」 「明日に差し支えても何だしね。さて、就寝前といえばストレッチかな。ヨガっていうのもありかもね」 同意する晶も疲れたように肩を回している。惺麗と千彗子の両方から飛んでくるまくらを受けて元気を使い果たしたのだろう。一方、香蓮や惺麗はまだまだ遊び足りなさそうな顔でうずうずと枕を弄んでいる。 もったいぶりながら桜映が言った。 「次はね……キャンプファイヤーだよ!」 「却下よ」 「却下」 「えー!?」 すみれと晶の声がぴったりとハモった。 悲しそうな桜映のうしろから香蓮と惺麗と千彗子のブーイングと野次が飛ぶ。 「って、須藤さんもそっち側なの?」 惺麗の陰から身をのぞかせる千彗子は、照れながら小さくぺろりと舌を出した。 「ごめんなさい晶さん。うふふ」 「須藤さんは味方だもん!」 「そうだよ! 須藤さんはこっち側だもんねー!」 「「ねー!」」 「うふふ、春日さんも芳野さんもありがとう」 その隣では惺麗が平塚を呼び出していた。 「平塚、次はキャンプファイヤーをやりますわ! 場所? もちろんこの部屋でですわ! ――なんですって? つまり、部屋の中でキャンプファイヤーはできない、ということですの? 九条院家の執事たるもの、それくらいできずにどうするのです!」 恭しく頭を垂れた平塚がかしこまりましたと去っていき、ところでキャンプファイヤーとはなんですのと千彗子の袖を引っ張ったあたりが、すみれの我慢の限界だった。 「もうみんな……寝なさーーーい!!」 騒がしかった一日が、終わろうとしていた。 *** ぐっすり休んで翌日は、ステラ・エトワールのダンスに指摘をすることから始まった。 ステージ上ではないからだろうか、それとも早くも合宿の成果だろうか――試合で見たときよりも多くの気づきがあり、桜映たちは惺麗たちに対して意見もできるようになっていた。 「――やっぱりすごいね、惺麗ちゃんたち」 「ええ。――でも、次は負けないわ。そうでしょ?」 ステラ・エトワールのダンスには迫力があったが、今やそれは届くべき目標だった。改めて感じた衝撃は桜映たちをさらに奮い立たせ、楽しくも充実した合宿の時間はまたたく間に過ぎていった――。 「惺麗ちゃん、晶ちゃん、須藤さん、それから平塚さんも! ありがとうございました!」 合宿番長の最後のこだわり、終わったらみんなでお片付けだよ! を終えて、荷物をまとめた桜映たちを玄関まで見送りに集まっていた。 「オーッホッホッホ! またいつでもいらっしゃい。桜映、あなたはわたくしのライバルですもの! 次は平塚にスコーンを焼かせておきますわ」 「まぁそれなりに有意義ではあったかもね。ちゃんと練習する気があるなら、またアドバイスしに来てあげてもいいよ、水川すみれ」 「ええ、ありがとう和泉さん。またお願いするわね」 「僕のことは和泉晶と呼ぶように!」 「あら、好きに呼んでいいって言ってたじゃない」 「なっ……!」 「私のこともそう呼んでくれたらいいのに」 「……じゃあ。す、すみ、すみ――――…………だぁぁ! 言いづらいからやっぱりきみは水川すみれだ! きみもそうしろ!」 「どうしてそうなるのよ!」 そんな様子を桜映も香蓮もくすくす笑って見つめていた。 「すみれちゃん、すっかり仲良くなったねぇ」 「うふふ、晶さんにお友達が増えて嬉しいわ」 「かれんも須藤さんとお友達になれて嬉しいです。メアドも交換したし、トリテンッターも相互フォローしたし! またいろいろ相談させてくださいね!」 「私でよければ遠慮なく言ってね」 にっこり笑って香蓮がスケッチブックを取り出すと、千彗子もノートを出して見せた。二人にだけわかる何かで、お互いうふふと微笑んでいた。 「桜映! 学内選抜のないあなた方は、次は都大会ですわね。必ず勝利して関東大会に――いえ、このわたくし、九条院惺麗の前に現れなさい。そうでないと許しませんわ!」 「うん! 惺麗ちゃんに教わったこと、あたしなりにやってみる。それがすみれちゃんや香蓮にも伝わって、ブーケらしさになると思うから!」 「ええ。型にはまる必要はありませんわ。何故なら」 「ダンスは自由、だもんね!」 微笑んで惺麗が差し出した手を、桜映が力強く握り返した。 それを満足そうに眺めながら、星司は一歩引いたところにいた。こういう場面では意外と空気を読んで大人しくできる元チームメイトに、咲也は再会してからずっと訊きたかったことを尋ねるときだと思った。 「なぁ星司、俺が志望先を間違えて花護宮高校を選んでたの、気付いてたんだろ。どうして何も言ってくれなかったんだ」 「言えるわけがあるまい。わざわざダンス部の無い高校へ行こうとしてるんだ――東はきっと、ダンスをやめるんだと、そう思っていた」 ダンスをやめるなら――辛い思い出に堪えられないなら、元チームメイトとは決別した方がいいということだろうか。だから住所も赴任先も教えず、メールアドレスさえ変えて、そっと離れたということか。 そんなのは友情でもなんでもない、と咲也は思った。 しかしそれに今まで気づかなかった自分も、友人ではなかった。 「俺がダンスをやめるなんて、生まれ変わってもあり得ないよ」 「そうだったな。そんな東がいたから僕たちは踊れたんだ」 「持ち上げすぎだ。俺はただダンスが好きな、トレーナーだよ」 溢れそうな気持ちに反して、ごめん、なんて型にはまった台詞は言えなかった。 友情は再会した時に確かめてしまった。一週間前、聖シュテルン女学院の坂を上った先の正門で、出会い頭の「待っていた」という言葉の強さがよみがえる。 あのとき星司は心から喜んでくれていたのだ。 しまらないな――と咲也は思った。 自分はいつも大事なところで、しまらない。 「東。前にも訊いたが、いいトレーナーとはなんだ。意見を聞きたい」 「そんなの俺にわかるか」 そうか、と俯く星司へ咲也は、右手の人差し指を突き出した。 そのまま星司の視線を誘導するように腕を動かして止め、その方向を指差した。 「星司は彼女たちのトレーナーだろ。どんなトレーナーがいいかなんて、彼女たちにしかわからない。――俺たちもそうやってきただろ」 視線の先にはわいわいとしゃべり合いながら、ブーケと別れを惜しむ惺麗たちがいる。 「――ああ。その通りだ。ありがとう東」 どういたしまして、といつも通りの口調で応えることが、咲也にはいま嬉しかった。 *** 「平塚、しっかり頼みましたわよ」 「かしこまりました」 「それじゃ、ありがとうございました! またね!」 来た時と同じように、リムジンに揺られて九条院邸を発つ。あの家の中を堪能したすみれたちにリムジンはもう脅威ではない。桜映もすみれも香蓮もリラックスした様子で、合宿を振り返って話していた。 「みんな、合宿は勉強になったかい?」 「はい! 先生はどうでしたか?」 「聖シュテルン女学院のダンス授業を勉強させてもらってたのと、星司が集めた他のチームの資料を見せてもらってたんだ。全国はおろか都大会でもステラ・エトワールが警戒するようなチームがごろごろいる。トリニティカップ出場の道は険しいぞ?」 「はい! でも大丈夫です!」 「だって私たち」 「もう負けないもん!」 どうしてそう思うの? 勘かな! などと賑やかな三人を、咲也はまた眩しく見つめそうになって頬を叩いた。自分のチームメイトに気圧されるトレーナーなんて一番しまらない。 自分もブーケの一員だ。 ブーケがトリニティカップに出場、そして優勝するためにバックアップしていく。その決意を新たに、咲也はもう一度両手で頬を叩いた。 「――ところで香蓮は、昨日遅くまで須藤さんと一緒に何してたの?」 「もしかして、そのスケッチブックと関係あったり?」 香蓮が大事そうに抱えるスケッチブックに視線を送りつつ、すみれも桜映も興味津々といった様子だ。香蓮は見せようか見せまいかしばらくうんうんと唸って―― 「えへへ。ちょっと良いこと考えてるんだけど……まだ内緒だよっ」 楽しみにしててねっ、とウインクする香蓮へ桜映とすみれが言おうとした言葉は、窓から差し込んだ美しい夕陽に奪われた。 桜映と香蓮が携帯で写真を撮り始め、すみれが座席に深く座り直す。心なしかスピードが緩まったように感じたのは平塚の気遣いかもしれない。咲也は自分も携帯を取り出して、そっと桜映たちを写真に収めた。 合宿が終わる。ひとつレベルアップした桜映たちに、都大会の日程が近付いていた。
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