都大会が近づいていた。 咲也は都大会の出場申込書を三回見直して、記入漏れがないか確認する。 書類ミスで出場できないなんてことになったらそれこそしまらない。細部まで繰り返し確認したのち、うなずいて、書類を封筒にしまい込んだ。 「…………」 やっぱり心配になってもう一度頭から見直している新米先生を、席近くの他の先生たちが呆れた様子で、しかしあたたかく見守っていた。 かくして、都大会初出場の花護宮高校はつつがなく申請を受理されたのであった。 *** 県大会が近づいていた。 昨年度の学内選抜を勝ち抜けたチームは三年生の卒業に伴い解散してしまった。だから最有力候補は現三年生で編成された昨年度第二位のチームと、そして先日の練習試合で一気に注目を浴びたステラ・エトワールだった。 熾烈な学内選抜大会になる――と考えた誰しもの想像を飛び越えて、あっさりと決着はついてしまった。 練習試合で魅せたステージよりもさらなる高みへ。 圧倒的実力差を見せつけたステラ・エトワールが、有無を言わさず聖シュテルン女学院代表の座をもぎ取った。 「当然ですわ!」 「まぁこのくらいはね。惺麗と同意見なのは癪だけど」 早くも県大会へ向けてディスカッションを始める惺麗と晶の側で、千彗子は今はもういない二人の先輩を思い出していた。 「新生<エトワール>……絶対、クイーンになりますね」 ぎゅっと握った拳を胸に当てて勝利を誓う。どんなに離れた場所にいても、先輩たちにステラ・エトワールの輝きが届くように。 と、不意に携帯がメール着信を知らせた。差出人を見て頬をほころばせた千彗子は早速、約束したトリニティカップ出場へ一歩踏み出したことを、先輩たちに報告した。 かくして、ステラ・エトワールは満を持して県大会に出場。その後、破竹の勢いでトーナメントを駆け上がって神奈川県第一位を手にし、関東大会への切符を手に入れた。 *** 都大会が近づいていた。 ダンス人口はトリニティカップの聖地である関西が最も多い。とはいえ都大会もそれに次ぐ規模で、都内のエントリーは何十校にも及ぶ。そのうち関東大会に上がれるのはたった三校だけだ。 試合はトーナメント制の勝ちあがり形式。 つまり、一度でも負けるとお終いだ。 白み始めた空を見上げる。 夜空の群青色は、気づけば薄い水色になっていた。もうすぐ朝日が顔を出しそうだと、ジョギングのペースは落とさず、桜映は思った。 寝ぼすけの自分が朝練の前に走るようになるなんて、桜映自身信じられない変化だった。日課になった今でも日が昇る前から起きるのはとんでもなくつらい。つらいが、やめるつもりはなかった。 住宅街を抜け、コンクリートで舗装された川沿いの道を走る。ジョギング用に父親にねだって買ってもらったウイングシューズが余分な衝撃を吸収して、桜映の身体を羽根のように軽くしていた。 川を渡る風がひんやりと頬を撫でて汗を乾かしていく。心地良いジョギング日和だった。 「おはようございます!」 元気よく声をかけておじいさんとおばあさんを追い抜くと、笑顔で挨拶を返してくれる。その二人が連れている柴犬もくりくりした瞳で桜映を見上げていた。 あまりに可愛くて、足を止めて撫でたかったが、我慢して走る。 目の前にはまっすぐに道が伸びている。その先に待ち構えている都大会の日程はもう目前に迫っていた。 跳ねる鼓動と呼吸の速さを感じながら、咲也の言葉を思い出す。都大会はトーナメント制の勝ちあがり形式で、上位の三校に次の関東大会の出場資格が与えられる。勝敗は三人の審査員の合計点数によって決まるが、技術やチームワークだけでなく、衣装やパフォーマンス性を含めた総合評価も大きく点数に影響することが重要だ。 咲也はこうも言った。――トリニティカップが注目されている理由の一つは、ステージとしての娯楽性にもある。ステージ上の限られた条件の中、ダンスで観客をどれだけ楽しませたかが大事ってことだ――と。 どれだけ楽しんでもらえるかなんてわからない。桜映の人生で、誰かに見せるために取り組んだことなんて数えるほどしかない。 それでもステージに立つ不安はない。 思い出すのはいつも蒼牙のステージだ。 蒼牙のようになりたい――と、ずっと心は高鳴っている。 試合のことを考えるだけで、桜映のわくわくは止まらない。 「ん~~~! 早くステージに立ちたいな!」 今日はどんなダンスができるようになるだろう。 そう思うと、練習が待ち遠しくなる桜映だった。 いつも通りに学校へ行き、朝練と放課後練をすみれや香蓮とこなし、一つずつだが着実にレベルアップして。 桜映、すみれ、香蓮たちにとって初めての公式試合は、瞬く間にやってきた。 *** ステージ衣装に袖を通すと、背筋がしゃんと伸びる気がする。試合で着るのはこれで二度目だが、実感が押し寄せて途端に特別な気持ちになる。それは楽しみな胸のわくわくでもあり、冷え冷えとした緊張でもあった。 「ねぇ香蓮。この衣装ってこんなにきつかったっけ?」 「さえちー……もしかして太った?」 「えっ! いや、それはそのぅ……まぁ、ちょっぴり」 「おかしいわね。桜映の運動量で太るなんてないはずよ。どうしてかしら」 「うーん。たしかに前よりご飯の量はちょっと増やしたけど、その分運動してるから平気なはずなのにね」 「あ。さえちーそれフラグ!」 「ふらぐ?」 更衣室を出て共同控室に入ると、先に準備していたチームたちの色とりどりの衣装が目に飛び込んできた。チームで揃えているところもあれば、ひとつモチーフを掲げてコンセプトにしているところもあるなど様々だ。 入った途端、ブーケの三人に視線が集まった。 だが、すぐに興味を無くして散っていく。数えるほどの何人かだけすみれに向けて視線が残ったので、桜映がささやいた。 「なんだか、すみれちゃん。見られてない?」 「ええ。バレエでコンクールに出たことがあるから、そのせいだと思うわ」 答えながらすみれが控室をぐるりと見渡すと、端の席から手を振る咲也の姿を発見した。 「準備は万端?」 柔らかな笑顔で咲也が言った。 桜映たちは互いに顔を見合わせて、えへへとはにかんだ。 「実は……緊張しちゃってます」 「ははは。ここで平気だって言われたらどうしようと思ってた。軽いものでも、胃になにか入れるとちょっとは落ち着くよ」 鞄からゼリー飲料を三つ取り出して手渡しする。一気に飲み干さないように注意されて、桜映たちは口を付けた。 「適度な緊張は集中力になる。これくらいがみんなのベストコンディションだと思うといいよ」 「「「はい!」」」 「いい返事だ」 会場ではすでに試合が始まっている。ブーケの出番はもうすぐだ。 「一回戦から、前回の都大会ベストスリーが相手だね」 「それを勝ち進んでも、次もたぶん関東大会出場の常連校と競うことになるわ」 「その次はきっと、一昨年の本選出場高校さんだね。かれんたち、もしかしなくてもくじ運悪いかも?」 「どこになっても一緒だよ。チーム名が同じでも世代交代しているところもあるし、初出場のところが思わぬ実力を秘めているときもある。僕たちのようにね」 「先生、なんだか神奈先生みたいな言葉ですね」 「そうか? そう言われると悪い気しかしないな。――うん、結構落ち込んできたかもしれない」 「え、え~っと? あたし、先生のおかげで緊張しなくなってきたかも!」 「かれんもだよ~」 「えっ? 香蓮、緊張してたの? すごくリラックスしてるように見えるけど」 「あーっ、すみれちゃんひどい。かれんだって緊張くらいするんだから。ぶーぶー」 「そ、そうね。ごめんなさい」 「えへへ、いいよ」 「……そろそろだな」 時計を見ると、ストレッチなどアップに取り掛かる時間に差し掛かっていた。咲也がそれじゃ行こうかと切り出すと、香蓮がはいっ! と手を挙げた。 「ここで、かれんからサプライズな報告があります!」 悪戯そうにはにかんで、鞄をごそごそと探る香蓮。 桜映もすみれも顔を見合わせた。咲也も含め、何事かと興味津々で覗き込んだ。 香蓮が取り出したのは一冊のスケッチブックだ。 えへへと照れ笑いしながら、そのページをめくって見せた。 「じゃ~ん! まだイラストまでだけど――新衣装、つくっちゃうよ!」 そこには新しくデザインされた衣装案が描かれていた。案といっても彩色もされている完成イラストだ。今の衣装と異なるコンセプトだがブーケらしさがよく出ていて、もちろんとても可愛くて、桜映もすみれも目を輝かせた。 「すごいすごい! もしかして合宿で須藤さんとお話してたのってこれ? かわいいね!」 「ええ、とっても良いわ! ねえ香蓮、いつごろ完成するの?」 「うんとね。もうだいたい生地も選んじゃってるから、関東大会には間に合わせるよ!」 「楽しみだわ! なら、都大会で終わるわけに行かないわね」 「もちろんだよ! 香蓮もすみれちゃんも、ほらほら手を出して! 東先生も!」 四人で輪になって手を重ねる。初めての円陣は少し気恥ずかしくてみんな照れ顔をごまかしていた。 「じゃあ行くよ――ブーケ、勝つぞー!」 「「「「おー!」」」」
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