Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 降水確率90%と天気予報が言っていた。
 すみれの上に、今にも泣き出しそうな雲が広がっていた。

 珍しく通学路に人影がない。朝早い時間だったこともあるし、どんよりと曇った空のせいかもしれない。すみれは誰ともすれ違うことなく、校門を通り抜けた。
 午後からは桜映、香蓮と、商店街へ遊びに行く予定だ。雨の日が嫌いなわけではなかったが、できればこのまま降らずにいてほしい。
 楽しみにしているところに、ふと考えがよぎる。これからどしゃ降りになったら、遊びは中止になってしまうだろうか。
 きっと、そうはならない。桜映も香蓮も雨空を見上げながらこれからの予定を楽しそうに語るだろう。そんな二人を想像して――昨日、体調悪そうにしていた桜映のことを思いだす。
 あれから倒れていないだろうか。ゆっくり休めただろうか。

(桜映は頑張り屋だから――わかってたのに。もっと早くに気付くべきだったわ)

 練習メニューを組んだすみれの責任だと自覚していた。
 考えるたびに申し訳なさで気持ちがどんよりと沈む。この空の色のようだ。
 見上げた校舎もいつもより暗く沈んで見えた。
 きっともうすぐ雨が降る。そうならなければいいな、とすみれは思った。

***

 使わなかった折り畳み傘をしまいながら昇降口を抜け、職員室で咲也から教室の鍵を受け取った。
 集合時間よりかなり早く来たつもりだったのに、咲也のデスクに置かれたマグカップは、中身のコーヒーがずいぶん減っていた。
 何をしていたか、机を見れば一目でわかった。広げられているいろいろな書類や資料はすみれたちのトレーニングに関するものだ。
 咲也もその視線に気づいたようだった。

「これかい? 新しいトレーニング理論とか、ダンス業界の傾向とか。何かの役に立つかもしれないと思っていろいろまとめてるんだ。まあ使えたり使えなかったりだけどね。それより雨、降られなかったかい?」
「大丈夫です。でも、すぐに降り出しそうな空でした」
「そうか、それは良いね。――いや、近くの食堂が雨の日だけ一品おまけしてくれるんだ。昼ご飯が楽しみになってきた」

 言いながら頬を掻く咲也に、失礼と思いつつもつい和んでしまう。

「水川さんたちは今日は商店街に行くんだっけ」
「はい。新しい喫茶店が出来たらしくて、みんなで甘いものを食べようって香蓮が。二人とも食べ過ぎないように注意して見てなくちゃ」
「楽しみだね」
「はい!」

 くすくすと笑い合いながら一言二言交わし、すみれは職員室を後にした。
 教室でトレーニングウェアに着替えてストレッチをする。万が一にも怪我しないよう入念に腱を伸ばしていると、自然と桜映のことが思い浮かんだ。

(香蓮はよくあることって言ってたけど、やっぱり大丈夫かしら)

 心配だったが、考えてばかりいても始まらない。
 今日は無理させないよう、早めに切り上げてしまおう。

(関東大会まであとどれくらい……?)

 よぎった不安を振り払う。
 悠長にしている暇はなくとも、体調より優先させるものはない。

「……二人とも、遅いわね」

 もうそろそろかと見上げた時計は、まだまだ集合時間より手前を指していた。
 焦っても仕方ない、と口の中で唱えるすみれだった。
 外の景色にぽつりぽつりと雨の筋が見えはじめた頃――扉の向こうから賑やかな声が聞こえてきた。

「おはようすみれちゃん! ねえねえ、もうちょっとで学校ってところで降り出しちゃったときって、すみれちゃんは傘さす派? ささずに走る派?」
「おはよう桜映、香蓮。私はさすけれど……桜映はささない派で、香蓮はさす派なのね」
「うそ! どうしてわかったの?」
「だって、桜映だけ肩にタオルを掛けてるじゃない。それ香蓮のものでしょ」
「てへへへ。さすがすみれちゃん!」

 はにかみあう桜映と香蓮に、思わずため息が漏れた。
 いつもより柔らかな口調を自覚しながら、すみれは言った。

「桜映ももう高校生なんだから、少しは落ち着きなさい」
「そうだよさえちー。いつまでも子供のままだとかれんのおにいちゃんみたいになっちゃうよ?」
「えー! それはやだなぁ」
「香蓮のお兄さんってどんな人なの……?」
「おにいちゃん? いつまでも子供っぽくて困っちゃう。でも、大人っぽいさえちーなんて想像できないねぇ」
「たしかにそうね。桜映はそのままが桜映らしいのかしらね」
「そんな!? あたしだって毎日成長してるんだからね!」
「わかったから、ほら落ち着いて」
「さえちーはいつまでもさえちーのままでいてね」
「もーっ」

 くすくすと笑い合う。いつも通りのやりとりが嬉しいすみれだった。
 香蓮がトレーニングウェアを取り出して着替えはじめると、鞄を持ち直して思い出したように桜映が言った。

「ちょっとお手洗い行ってくるね!」

 そう言って出て行った桜映は、戻ってきたときには着替え終わっていた。

「お手洗いで着替えてきたの?」
「まあまあ、いいじゃないいいじゃない」
「?」

 柔軟していた身体を起こして、香蓮もすみれも不思議そうに桜映を見上げた。
 桜映は気にしないそぶりですみれの背中に手を当てた。

「さあ練習しよ、すみれちゃん! そーれ!」
「ちょっと――桜映は自分の準備をしなさいってば」

 押されてぺたんと開脚前屈しながら平気な顔で抗議すると、感心した桜映と香蓮が、おおーと拍手した。



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