Trinity Tempo -トリニティテンポ- ストーリー



 しらじらと夜が明けていく。
 橙色の刃が薄い雲を切り裂いて、地上に朝日を突き刺していく。
 長谷部有瓜はその様子を眺めていた。
 ホテルの屋上の最も高いところで胡坐をかいて、昇る朝日を眺めていた。

「……」

 金属が擦れる音がして『立入禁止』と張り紙された非常扉が開く。やってきたのは一期桐栄だ。
 桐栄は有瓜を見つけて、さらに扉のすぐそばに立っていた正宗葵の姿を認めて、予想通りといった顔で非常扉を閉じる。
 生温いビル風が有瓜の、結われる前のざんばらな髪の先を弄んでいた。ちょっとバランスを崩しでもしたら大変だろうに、とも思うが心配するほどではない。高いところは有瓜の十八番だ。
 そのまま3人で空を眺めていた。
 しばらくして有瓜が口を開いた。

「桐栄、葵。今日の合戦をどう見る?」
「……『蒼牙』も『ティダ』も優勝候補だけど、有瓜ちゃんには敵わない、かな。その、わ、私もいるし……」
「んなこと聞いてんじゃねー。どう見るかっつってんだ」
「はう……! そ、そうだよね、ごめんね有瓜ちゃん」

 しゅんとする葵。
 よくある光景なので気にせず、桐栄はにこにこと応える。

「なんですか~? 有瓜ちゃんともあろうお方が緊張しちゃってるんですか~?」
「全然してねー。これっぽっちも全然してねーぜ」
「あはは、あたしの勘違いでしたね。でもそうだなぁ、有瓜ちゃん第一の家臣である一期桐栄がおそれながら申し上げますれば――こんな滅多にない大舞台、皆で楽しく踊れればいいよね!」
「! い、一番は私だから……」
「いやいや、葵ちゃんは無理しないでいいよ」

 お互いを押しのけようとする腕が交差して、そのまま力比べの様相を呈する。
 これもこの2人にはよくある光景だ。

「葵ちゃんはいつも大変そうにしてるなぁって思ってたんだよね。いい機会だし交代してあげるって……っ」
「余計なお世話だよね……っ。桐栄ちゃんこそ見えないところで頑張ってるの知ってるよ。だからゆっくりしてて……!」
「あはは、落ち着いてってば……葵ちゃん見かけによらず力強いんだから……!」
「桐栄ちゃんこそしぶとい……!」

 見かねた有瓜が檄を飛ばした。

「お前らなぁ。遊んでんじゃねー! これから合戦だぞ! もっと気を引き締めてけ!」
「はーい!」
「ご、ごめんね有瓜ちゃん……!」

 有瓜は膝を叩くと、勢いよく立ち上がった。
 あちこち跳ねた髪を組紐でポニーテールにまとめると、ニカッと笑って言った。

「そろそろ行くか。葵、腹減った! 何か食いもん探しに行くぞ!」

 桐栄と葵も争いを中止して賛同する。

「う、うん! そろそろ1階で、取り放題の朝食会場が開いてるはずだよ」
「取り放題ぃ? 茶漬けもか? 団子もか?」
「あはは、お団子が並んでるバイキングってなかなか無いですよ~」
「そうなのか? はぁー……団子がないと1日が始まらねーぜ」
「えっ!? じゃ、じゃあ――私買ってくるね! まかせて有瓜ちゃん!」
「まあ無いなら無いでいいけどな。先行ってるぞ!」
「お供しまーす!」
「ま、待って有瓜ちゃん――!」

 扉を開けてずんずんと階段を下りていく有瓜の後ろを、桐栄と葵がついていく。
 東海地方代表・チーム『金鯱』。
 リーダーが絶対の決定権を持つ、ダンス戦国時代の風雲児。
 今日『蒼牙』と戦う、東海の覇者である。

***

 初日に劣らぬ熱量が渦巻く中で、2日目の開会式は開催された。
 敗者復活戦が追加されたことで、ステージには改めて全24チームが揃っている。
 2回戦進出したチームはもちろん、敗者復活戦に賭けるチームも闘志を燃やしている。

「お待たせしました。トリニティカップ第2回戦、開幕です!」

 司会者のアナウンスに大きな歓声が応える。それだけを聞けば初日を上回る大きさだった。
 それもそのはず。2日目は実質の決勝戦として噂される試合からの幕開けだ。前評判も重なって、注目度は最高潮だった。

「今大会では追加ルールとして敗者復活戦を開催いたします。
 試合の流れは――第1試合はAブロック2回戦、近畿地方代表『蒼牙』vs東海地方代表『金鯱』vs沖縄地方代表『ティダ』。第2試合はBブロック2回戦、関東地方代表『ステラ・エトワール』vs四国地方代表『フルーツバスケット』vs東北地方代表『greenery』。
 その後敗者復活戦である、1回戦敗退の16チームでの1曲のみ披露のバトルロイヤルを行い、勝った1チームだけが第3試合であるCブロック2回戦に出場する権利を得ます。第3試合は、敗者復活チームvs中国地方代表『鳥雀』vs北陸地方代表『キュアエイド』となります」

 モニターにトーナメント表が表示され、2回戦に駒を進めたチームが枠の中を進む。

「さらに追加ルールとして、敗者復活戦と明日の決勝戦におきまして、スタジアム客席の皆様およびオンライン視聴の皆様から、リアルタイムの投票を受け付けます! 得点配分は審査員点数が150点、得票数による点数が150点で合計300点。皆様の応援がチームの勝敗を決定づけます。奮ってご参加ください!」

 客席からまた歓声が上がる。オンラインの画面は大量の評価コメントで埋め尽くされている。
 会場のどこかで皇が微笑む。
 スポットライトがまぶしいステージの上で、『蒼牙』と『金鯱』は隣り合った場所に立っている。
 有瓜が言った。

「お前らが『蒼牙』か」

 大河は怪訝そうに有瓜のことを見た。構わず有瓜は、大河の鼻先へ人差し指を突き付けた。

「ダンスで天下布舞するのは私と私の『金鯱』だ。首を洗って覚悟しやがれ!」
「良いだろう。我々はどんな挑戦も受ける」
「はっ。吠え面かくんじゃねーぞ」

 涼しい顔で受け流す。有瓜も言い足りた様子で黙って前に向き直る。
 ちょうど司会者のアナウンスが終了した。

「間もなく第1試合が始まります。――乞うご期待!」

***

「――お待たせしました。トリニティカップ2日目、第1試合はこのチームから。東海地方代表・チーム『金鯱』!」

 暗いステージに竜笛の高音がか細く、薄く響いていく。
 続いて、力強い和太鼓の音。ドン、ドンと間隔を空けて、びりびりと観客の鼓膜を打つ。
 徐々に和太鼓が早くなる。逸るリズムは観客の期待を煽っていく。その期待が最高潮まで達したとき、十分な溜めとともに最後に1度、ドン、と鳴らした。
 その瞬間、何かがステージから飛び出した。
 ステージから5メートルも跳びあがって、丸まった何かが回転している。いや何かではない。人だ。長谷部有瓜だ。  パッと明かりが点く。

「――――どっかーん!」

 花火が上がったのかと思わせるほどに。
 まるで夜空を染める大輪の菊型花火のように、『金鯱』のリーダーの子が空中で全身を大きく広げる。長い髪と振袖が相まって身長の2倍ほども大きく見える。いや、それ以前に目を剝くのは驚異的なジャンプ力と空中できれいに体勢を整えたその身体能力だ。ウィッシュを履いていてもそこまで跳びあがれない。
 一瞬で度肝を抜かれた観客を、にぎやかな祭囃子がかっさらう。
 アップテンポな太鼓と笛の音、琴の爪弾きが折り重なった曲調に合わせて、地上の2人が踊り始める。左右が見事に揃った対照的な振付の舞いで、鏡写しのような動きはむしろセンターの不在を意識させた。センターの子が着地するまでのほんの数秒間を持たせるためだったかのように、すぐに2人揃って1歩退く。リーダーが勝気に歯を剥いて顔を上げる。
 その次の瞬間には、センターの子はステージの端まで跳ねていた。
 観客が見失うほどの大きなジャンプ。かと思えば次の瞬間には反対側にいる。ぐるぐると縦に回転しながら縦横無尽に飛び跳ねるのを、残る2人が距離感を調整して一体感があるように見せている。

「すご」「リーダーに目が行く」「どんだけ動き回るの」
「なんで整って見えるのかわからない」「和風」

 拍子木が軽やかに拍を取る。
 どんなに滅茶苦茶な動きでもリズムがずれない。
 観客が目で追えるようになってきた頃に、突然の転調。
 緩やかな琴の音に合わせて、向かって左側の袖で黒髪の女の子が優美に舞う。
 そこでさらに転調。今度は拍子木と笛の音に乗って、右側の袖で栗色の髪の子が激しく足を踏み鳴らす。
 次第に早まるリズムに合わせてフロアの上を回転するパワームーブ。左の長い衣装の袖が激しく弧を描いて舞った。
 そしてその両方をタイミングごとトレースするセンターのダンス。

「うそでしょ」「あの袖でエアーやるとか」「昨日も成功させてた」
「でも綺麗」「めっちゃ映える」「カッコよすぎ」

 そして3人ぴったりと揃った振りを披露する。センターの子がよさこいさながらに掛け声を入れると観客に声を出すよう煽って見せる。

「そりゃそりゃそりゃそりゃ!」

 そりゃそりゃそりゃそりゃ――合いの手を入れるのがたまらなく心地いい。
 その間もダンスは止まらない。転調に次ぐ転調、アクロバットに次ぐアクロバットに翻弄されて、会場はお祭り騒ぎだ。
『蒼牙』にだってこんなダンスは不可能では、とまで囁かれるなか、立て続けに2曲目が始まる。
 1曲目と同じ曲調のステージは、乗り方がわかった観客がいま一番欲しい曲だ。
 盛大な掛け声に後押しされて、『金鯱』のダンスは熱狂の渦の中終了した。

「どうだ!」

 センターの子が拳を振り上げると喝采が沸き起こった。
 ステージが暗転して、『金鯱』のメンバーがはけていった。
 汗だくになった観客が、もう今日1日の楽しみは見終えたかのように疲れた顔で笑い合っている。
 この直後のステージだなんて、流石の『蒼牙』もアウェーが過ぎる。

「――良いだろう」

 暗闇の中、『蒼牙』リーダーの声が響いた。

「見せてやろう。最高のパフォーマンスとはこういうものだ!」

 会場が突如として明るくなる。同時に音楽が響き始めた。
 せり上がるステージに押し上げられて、『蒼牙』の3人がゆっくりと登場する。

「2回戦第1試合、続いてのチームは近畿地方代表・チーム『蒼牙』!」

   疲れ切っていたはずの観客のボルテージが、一気に最高潮まで高まる。
 1回戦で披露した曲と同じだった。野生の王者が獲物を爪で切り裂くようなシンセサイザーから始まり、超高難度の振りがステージ上の空間を鋭く千切る。
 同じ振りのはずが全く違った。同じ歌声のはずが違って響いた。
 攻撃的な振りがさらに尖って、歌声は魅了にとどまらず根こそぎ奪うような音色すらした。
 そして誰もがその理由に気付く。『蒼牙』の3人が妖艶にわらっている。強敵に出会って、これを食らうことを喜びとするような。本能そのままの愉しげな感情が、ダンスを加速させていた。
 誰もが言葉を奪われて魅入っていた。

「アンタたちに勝てるチームなんかないわよ」

 控室から観ていた阪井の想像をも超えたパフォーマンスだった。

「どこまでも、思いのままに――羽ばたきなさい」

 翼が生えたかのような大きなジャンプ。何回もきりもみ回転して、ぴたりと着地する。
 勝敗は火を見るよりも明らかだった。

***

 有瓜はいつまでも床を叩いて悔しがっていた。トレーナーの愛田と葵が止めに入らなければ怪我をしてもやめなかったように桐栄には思えた。
 思い返してみれば有瓜が負けたところなどこれが初めてのような気がする。有瓜だけはこれまでどんな勝負にも勝ってきた。――だめ、考えるな。有瓜が3人いたら負けなかっただろうなんて無駄な考えに頭を使うな。やるべきは反省と改善で、後悔はこのチームには必要ない。
 切り替えろ、と自身に言い聞かせる。

「ちくしょー!!」
「有瓜ちゃん……! 私がもっとうまく踊れてたら……! 有瓜ちゃんの足を引っ張ってごめんね」
「なんで負けた! なんで勝てなかった! 言ってみろ葵! 桐栄!」
「有瓜ちゃん……!」
「――あはは。なんで、だって。そんなのわかり切ってるよ」

 桐栄は努めて笑顔を貼り付けて言う。

「有瓜ちゃんがダンスで妥協したせい。本気を出さなかったせいだよ」
「なんだと!」
「桐栄ちゃん!?」
「じゃあ本気で踊れてたって自分で思ってる? もっと激しく、大きく動けたでしょ。違う?」
「違うわけあるか! 私にできねーことはねー! 馬鹿言ってんじゃねえ!」
「でもそれをしなかったのは、あたしたちがついていけなくなるから。あたしたちが有瓜ちゃんの本気を縛り付けてたんだ」
「んなわけあるか! んなこと関係ねー!」
「大ありだよ」
「ねーっつってんだ!」
「あるったらある!」

 葵と愛田が目を見張るさなか、桐栄は有瓜の肩口を掴んで引き上げた。
 ほとんど反射的に、有瓜も桐栄の胸倉を掴む。掴もうとしてサラシしかなかったため代わりに喉を掴む。

「ぐえ……」

 一瞬呼吸が止まって涙が出た。ちょうどよかった。もう抑えきれないくらい溢れそうだったから、痛みのせいにして垂れ流すことにした。

「ゆうりちゃんに!」

 震える声も喉を押さえる手のせいだ。
 嗚咽も何もかも、有瓜のせいだ。そうさせてしまった自分のせいだ。

「ついていけるように! がんばるから!」
「ああ!?」

 だから、と声を張り上げた。

「来年また、いっしょに挑戦してください!」

 ――いや無理でしょ。
 何無理言っちゃってんの。
 ああ、笑っちゃうな。普段ならもっと効果的で逃げられない状況を用意するのに。
 有瓜にダンスを続ける理由はない。有瓜がいなければ葵も続けはしないだろう。
 またチーム解散か。今度こそ最高の人たちに巡り合えたと思ったんだけどな。

「――葵。お前こりゃ何の真似だ」

 葵の両手が有瓜の手を掴んでいる。
 あの葵が、桐栄をかばうように有瓜を見つめている。

「有瓜ちゃん、私からもお願い。来年のトリニティカップを目指して、だ、ダンス続けてください」
「…………葵ちゃん」
「わ、私は有瓜ちゃんが負けるところなんて見たくない。――負けたままの姿は、もっと嫌なの」

 えー、そう来る? ここで加勢なんかされたら好感度変わっちゃうよ。あはは。
 普段ならそんな言葉で茶化すところだ。
 もうやめようよ。お願いだから軽く行こう。だめだったなら仕方ないじゃん。
 けれど今は言葉にならない。嗚咽とともに出てきたのは本心だけだ。

「有瓜ちゃん。もういっかい、3人でダンスしよう!」
「わ、私からも、お願い……!」
「やらねー」
「有瓜ちゃん!」
「もう、やらねー」

 有瓜は桐栄の喉元から手を離した。
 襟を掴む桐栄の手を払って、有瓜は2人に背中を向けた。

「もう、感覚任せのダンスはやらねー。振りとかステップとか基本的なことから教えろ。私にダンスを教えろ。そんで二度と――二度と負けねー。二度と。二度と」

 そんなこと言っちゃって、大変だよ? 有瓜ちゃん飽きっぽいからなぁ。大丈夫かなあ?
 そんな言葉は溢れてきた温かい涙に押し流された。
 後にも先にも、桐栄が葵と抱き合って喜んだのはこれが最後だった。

「うん――3人が磨き上えば、『金鯱』は誰にも負けない。二度と、もう絶対に」
「ならやってやる。付き合え桐栄、葵。――まだ私たちは天下布舞してねー」
「有瓜ちゃん……!」

 桐栄は努めて笑顔を貼り付けようとした。
 言葉にはならないまま胸に秘める。――見つかったよ、最高のチームメイト。
 いつまでも止まらない涙は、きっと喉の痛みのせいだった。



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