「あれ?」 思わず呆けた声が出てしまう。 誰がいるのか身構えて扉を見遣ったのに、人影1つ見えない。 「いたずらかな?」 「……一体なんなんだ」 「あ」 大河が少し不機嫌そうに呟いたのと、アリサが声を上げたのはほぼ同時だった。 アリサはなにかに気付いた様でおもむろに扉を指差した。 「ん~?アリサ、どうしたの?アタシには何も見えないけど……」 「指」 言われて目を凝らす。 この練習室がここまで広くなければ、目を凝らす必要もなかったのに。 「なんだ、アレは」 アリサの言わんとする事に気付いたのだろう。大河が声を上げた。 改めて目をやると、アタシにも2人の疑問が理解できた。 「なにあれキモッ!?指だよね」 「指だな。……しかしなぜ指だけなんだ?」 開け放たれた扉。 そこから少しだけ指が覗いていたのだ。 不気味なその光景にアタシ達が動けずにいると、指を基点として人影が教室に侵入してきた。 体つきや服装から女性と言う事は分かるが、長い髪が俯いた顔を隠していて表情は読み取れない。 微かながら呻いている様な声も聞こえる。ハッキリ言って怖い。 「ちょっと!なんなのあれ!?マジで怖いんだけど!」 「女性……だな」 「ん……?」 「『声掛ける?』って、だ、誰が!?アタシはヤだよ!なんか呪われそうじゃん!」 「ふむ、言い得て妙だな。確かに呪われても不思議ではない」 「落ち着いて分析してないで!逃げようよ!」 最早半泣き状態でアタシが大河とアリサの腕を引っ張る。 そうしていると、その女性から何か声が聞こえてきた。 「……っとに、う……いわね。あー、は……う」 「な、なんか言ってない?」 「直接聞いてみるか」 「ハァ!?」 そう言うと、大河が迷いのない足取りで女性に向かっていく。 アタシが危ないと止める間も無く、あっという間に大河は女性の前に立った。 女性はと言えば、教室に入ってすぐの所にあった椅子に腰掛け、項垂れている。 「もしもし?大丈夫ですか?」 大河が少し大きな声で女性に呼びかける。 すると、その声に明らかに女性は反応を見せた。 「~~~!……大きな声出さないでよ。頭に響く……」 女性は頭を抱えている。 怪我でもしているのだろうか。 その様子を見て思わずアタシも駆け寄った。 「あの、大丈夫?頭痛いんなら保健室行く?それとも救急車?あ、あれ?救急車って何番だっけ?」 「理央奈、落ち着け」 「だ、だけどさぁ」 アタシが声を上げた途端、女性がうがーと叫びながら立ち上がった。 そして、片手で頭を抑えたまま、アタシ達をキッと睨み付けた。 「あーもう!うっさい!二日酔いで気持ち悪いんだから大きな声出すなって言ってんでしょうが!分かったら水持ってきなさい!水!あー頭痛い。しんどい……」 「え?え?な、なんなの?」 「ん?」 アタシが突然の事に混乱していると、アリサが女性へと水の入ったペットボトルを差し出していた。……いつの間に。 それを受け取ると、女性は嬉しそうに500mlの水をあっという間に飲み干した。 「ぷぁ~。あー、生き返るわー。あ、この椅子借りてるわよ」 アタシ達が何かを言う前に女性は再び椅子に腰掛けた。 視線は女性に固定しながら、ウチは大河に耳打ちする。 「でさ、この人は誰なの?」 「私も知らない。やはり直接聞くしかないだろう。不審者の可能性もゼロではないしな」 「ふ、不審者!?」 大河が口にした穏やかでない単語に、思わず声が出てしまう。 アタシの声は女性にも聞こえていたようで、ムッとした表情でアタシ達に絡んできた。 「ちょーっと?誰が不審者よ誰が。まったく失礼しちゃうわ。……うっぷ」 「では、あなたが一体誰なのか。失礼ですが、名乗って頂けますか」 女性に全く臆することなく、大河が訊ねる。 それを聞いた女性は、目をしばたかせた後、「は?」と首を傾げた。 「あれ?何も聞いてないの?昨日の内に連絡したって聞いてたんだけど」 「昨日?……もしかして――」 「学校が言ってたアタシ達に紹介したい人ってこのオバサンの事なの!?」 大河が言いきる前に、思わずアタシは声を上げてしまった。 そして――。アタシは目の前に鬼を見た。 「ふふふ。あなた、面白い事を言うのね。おばさん?誰のことかしらねー?ふふふふふ」 物腰こそ柔らかだが、指をバキバキと鳴らしながら立ち上がったその表情は明らかに笑っていなかった。ちょー怖いんですけど……。 「い、いいえ!アタシの勘違いでした!ごめんなさい、おねえさま!」 「フン!分かればいいのよ。まだ私は26だっつーの……」 「それで、あなたは一体誰なのですか?あなたが学校の言っていた人物なのか確証もない。まずは身分を明らかにして貰わなければ」 「ん」 大河がマイペースに26歳の女性に訊ねる。 気付けば、アリサは練習室内の非常ベルの近くにいる。警戒態勢と言う事だ。 女性は一息吐くと、つまらなそうにアタシ達3人を見渡した。 「ふーん。まぁ、仕方ないか。……えーと、あったあった。はいこれ」 「これは?」 女性がジャケットの内ポケットからなにか書類を取り出し、大河に手渡す。 顎で読んでみろと女性が示し、大河が折り畳まれた書類を開く。 「これは!?」 大河が驚いたように声を上げる。 大河がこんなに驚くなんて珍しい。もしかすると、出会ってからはじめての事かもしれない。 「ちょ、どーしたの大河?アタシにも読ませてよ!」 「ん」 大河の手から強引に書類を取り、いつの間にか横にいたアリサと書類に目を通す。 そこには、獅子王大学付属高等学校理事長――三神御門の署名がされていた。 理事長直々?な、内容は!? 「……え?」 「あなたが……あの……」 アタシが間の抜けた声を出すのと、大河が驚きを隠せぬままその女性に声を掛けるのは同時だった。 「うふふ、いい反応じゃない。――そう!私があんた達のトレーナーになる、阪井龍子よ!」
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